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2023年読書ベスト

毎年恒例の自己満です。

今年は現時点で67冊。数年ぶりに100冊超えなかったしだいぶ減ったけど何度も読み直した作品もあった。

ランキングではなく著者につき一作、感想の長さと面白さは比例しません。記録していなかったのもあるし。

年末年始の読書の参考にどうぞ。


1.『悪と無垢』 一木けい

”悪気がないことはわかっていた。あるのは使命感。想像力の欠如した的外れの”

2.『スクラッチ』 歌代朔

久しぶりに本を読んで泣いた

3.『ミーツ・ザ・ワールド』 金原ひとみ

”人が人によって変えられるのは四十五度まで。九十度、百八十度捻れたら、人は折れる”

4.『ぼくらは、まだ少し期待している』 木地雅映子

安易にジャンル分けできない何層にもなった面白さ

5.『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし』 岸田奈美

圧倒的な文才と愛情

6.『シン・サークルクラッシャー麻紀』 佐川恭一

なんて括ったらいいのかわからない怪作

7.『はるか、ブレーメン』 重松清

”幸せに生きた人生と、幸せに締めくくられた人生とは違うんだ”

8.『私たちの世代は』 瀬尾まいこ

あの3年間を経たからこその作品の代表作になると思う

9.『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子

日常な些細な引っ掛かりを見事に言語化してくれている

10.『N/A』 年森瑛

当たり前への疑いや多様性というなの枠での狭め方など、個人的にめちゃくちゃ刺さる部分が多かった

11.『くもをさがす』 西加奈子

”私の胸は、本当に、本当に素敵だった。医療廃棄物として処理されたであろう私の胸と乳首に、私は今、心から謝罪したい。そして、感謝したい”

12.『妻はサバイバー』 永田豊隆

夫婦の壮絶な20年のたたかいの記録

13.『なんで僕に聞くんだろう。』 幡野広志

”死ぬ側の立場としては、好きな人には幸せになってほしいわけですから”

14『永遠と横道世之介上・下』 吉田修一

やっぱり世之介みたいな友達がほしいし世之介になりたい。シリーズ最終章。

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1.『悪と無垢』 一木けい

第一章から止まらなくなる流れ。読み終わるとさらに深まっている謎。

こんなに整理するために読み直したの久々。

時系列はバラバラながら「英利子」とのそれぞれの出会い、受けた恩恵、予期せぬ無関係そうに思える出来事。

章を重ねるたびにそれらが密接に繋がっていることを理解し、表と裏、両側から覗いているような感覚。理解する喜びとさらに深まっていく困惑がごちゃ混ぜになって、格別な体験だった。

全体的な大きな流れだけではなく、各章の欲望と悲哀、人間の不気味さ、明らかになり切らないちょっとした疑問点など、それぞれの読み応えも抜群だった。

また著者らしい、常識や大多数の意見を背にした正義観からあぶれてしまう人たちを掬い取る文章はやはり胸がすくものがあった。

”悪気がないことはわかっていた。あるのは使命感。想像力の欠如した的外れの。”

そして、各章の轍を辿っていく最終章。

それまでずっと、もういないことにされていた英利子の長女・聖の視点でできる限りの収斂を迎える。

深く関わった登場人物で唯一、英利子に錯覚を抱かなかった聖は、抗い、逃げながらも創作を通じて母に対峙していく。

でもここで新たに、「そんな母親の傍らで、娘のために積極的な行動を起こさなかった父親は果たして無罪なのか」、という疑問が出てくる。

個人的には母娘の話で終わるんだろうなと思っていたから、新たに父の存在まで出てくると一読では処理できない情報と感情になってしまった。

それは聖が生涯かけて解いていく命題でもあるし、最後の文章が納得と諦めの気持ちを持って、全てを代弁していると思う。

”こことここの辻褄が合わないと思うんですが。

その指摘を見たときは笑ってしまった。今見ても可笑しい。何度でも笑える。

事実を記すと辻褄が合わない。不可解で無秩序。それがわたしの育った家だった。”

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2.『スクラッチ』 歌代朔

日本全国全ての中学校に置くべき傑作。

コロナ禍での学生生活。どんだけ想像しても過ごした本人たちにしかわからない経験だと思う。

だけれども、カロリーメイトCMでの神門のリリック、

「自分達には コロナのない中で過ごした学生時代がないのではない コロナ禍で過ごした学生時代があるのだ」

まさにそういうことなんだと思う。

大会が無くなったバレー部、審査が無くなった美術部。

どちらも「他者と競って、手に入れて、上に進むこと」のチャンスさえも理不尽にも手放さなければいけなかった。

聞き分けの良さも、諦めも、怒りも、どんな感情を内包してどんな態度を取ったとしても、真摯に向き合っていたら簡単に割り切れることじゃない。

そしてその割り切れなさを抱いたまま、終わらせず変わらず突き進むのか、新しいことを始めるのか、思っても見なかった夢に挑戦してみるのか、進み方は生徒それぞれだった。

主人公の少年・千暁が描いた、大人(審査員)が良いと思う絵にもう一人の主人公の少女・鈴音がアクシデントで墨をかけてしまう。そこから全てを黒で覆って、コロナ禍で経験した傷(スクラッチ)を描き、希望の姿や本来であれば経験するはずであった輝きを掘り起こし描き出す。その展開と少年にスイッチが入った瞬間の熱量はとても惹きつけられる魅力があった。

でも物語はそこに終始せず、コロナ以前の災害で負った傷や身につけてしまったブレーキも絡ませ、不恰好でも、万人受けする整いがなくても、本当に今の自分が描きたいもの=自分の姿をさらに描き、「コロナに負けず僕たちは学校生活を精一杯やり切りました」では収まらない、一人の人間の人生と成長を綴っている。

また今作は他の生徒たちの成長も魅力的で、それぞれの理由で中学生活最後の夏休みを通して大人の想像を超えて大きくなっていく。

夢があってもなくても、かけがえのないものが見つかっていてもまだなくても、どんな環境だろうと日々生活していくだけで子どもたちは成長していく。その環境の要因のひとつがたまたまコロナであっただけ。それは何かが欠落していたのではなく、逆にこの3年間を学生として過ごした世代しか経験できなかった、少しでもプラスな意味を持った特別なものになってほしいと思う。

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3.『ミーツ・ザ・ワールド』 金原ひとみ

他者を理解したい願望と他者と共有できないことへの絶望、日々オートで判断していた価値観を揺さぶられる作品。

各々が強烈な個性を放ち世間一般からは程遠いような尖った歪な第一印象を持つのだけれど、腐女子の主人公が会話を重ねるたびに固定観念や偏見を除かれていき、理解し始めたというよりは理解できなくても適切な距離と接し方を学んでいく。

歪に思われた4人が補い合いながらアサヒの病室で笑えたことに感じる安心感は、今作の最大の共感であり救いだった。

自身の死生観は簡単には変わらないだろうし、自ら命を絶つことは良くないとは思う。だけれども当事者としてその決断に至る思考の変遷や理由は、どこまでいっても他者が理解し切れるものではないし、想像とは全くかけ離れた、悲観さを微塵も感じさせないものである可能性もある。そこの隔たりをしっかり認識した上で、相手の目線で世界を見てみること、自分の世界を蔑ろにしないことが大切なんだと感じた。

“誰しも人と人との間には理解できなさがでんと横たわっていて、相手と関係継続を望むのであれば、その理解できなさとどう接していくか、どう処していくかを互いに考え続けなければならない”

“人が人によって変えられるのは四十五度まで。九十度、百八十度捻れたら、人は折れる。”

”生きたいならどんな理由でも何でもいいからやりたいことやりながら生きていくしかない”

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4.『ぼくらは、まだ少し期待している』 木地雅映子

新感覚な読み心地。

冒頭の前口上の小気味よい文章でグッと掴まれたと思ったら、随所に散りばめられている現実的な事象や問題。それによって単純な読む楽しさだけではなくて、ドキュメントを読んでいるような現実味を感じて遠い世界の出来事ではないように思わせてくる。

「家族再統合」というような知らなかった知識、家族神話のようなものからの脱却と、だけれでも捨てきれない親への期待とそれを経た上での良い意味での諦めと断絶、冷静な主人公が巡り巡って辿り着いたシンプルな愛情、そして予期していなかった人物との邂逅で生み出される濃密な時間。

本当にたくさんの要素が詰め込まれていて、安易にジャンル分けできない何層にもなった面白さにのめり込んだ。

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5.『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし』 岸田奈美

文才とはこのことを言うんだと思う。

西加奈子や朝井リョウのエッセイ以来の衝撃。2ヶ月足らずで3回も読んだ本は、これが初めて。

どんどんハマる文章のリズム感とスピード、「…」と「、」の抜群な使い方、それらにより増幅した面白さに笑いが抑えられない。

”わたしの乳は、どうやら、集団疎開していたようです。いつの間に……?開戦した覚えも……ないのに……?”

また、文中や解説でも語られているけど、忘れるからこそ書き留めるから、会話の描写やそこからのチョイスが秀逸。こんな切り取り方に憧れる。

”「2日目以降もチャーターできるようなので、そのまま観光を楽しんじゃってください」楽しんじゃってください。飛びはねる語尾に、わたしまでつられて笑顔になった。”

そして、シンプルに文章の面白さを楽しむだけでも十分すぎるほど読む価値があるのに、それだけには収まらない、世間的にはハードに見えるバッググラウンドとそこから得てきた力強さが、さらにこの作品の魅力を倍増させてる。

たくさんの失敗と後悔を繰り返したからこそ、自分への優しさを見失う時もあったからこそ、強く優しくなれたんじゃないかと思う。

”さあ行け、良太。行ったことのない場所に、どんどん行け。助けられた分だけ、助け返せ。良太が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある。知らんけど。”

”「車いす生活になるけど、命が助かってよかったわ」母は笑っていた。あの時ホッとしたわたしを、わたしは殴ってやりたいと今でも思う。”

”家族の会話は、「楽しい」とか「悲しい」とか、一言じゃ説明できない情報量にあふれている。”

”重い人生だから、せめて足取りぐらいは軽くいたいんだ。知らんけど。”

”絶望は、他人の応援の言葉で、めったになくなるものではない。”

”いまだったら、エビチャーハン、頼んじゃうよ。なんならホタテも乗せちゃってよ。”

”そうして重なり合った複雑な味は何味でもなく、滋味、とでも表すんだろうか。”

”「好きな自分でいられる人との関係性だけを、大切にしていく」”

また、著者だけではなく、お母さんも弟さんもとても優しくて強くて、魅力に溢れている。

「泣き笑い」っていう言葉がとても似合う傑作だった。

『飽きっぽいから、愛っぽい』も作者の異なる一面も見えてオススメ。

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6.『シン・サークルクラッシャー麻紀』 佐川恭一

なんて本を読んでしまったんだ。

自分の読書経験だと、樋口毅宏や森見登美彦のような要素は感じるんだけど、なんて括ったらいいのかわからない。

ものすごい情報量がとてつもないスピードで過ぎ去っていく。物語の中の物語に句点がなく、主人公の頭の中で連想ゲームのように話や思考がどんどん原型を忘れるくらいに飛んでいくので、どこで一区切りついて休めば良いかわからなくなり、手が止められなくなる。そして物語の中の現実なのか、物語の中の物語なの境界線がボヤけてきて同一化することにより、さらに頭の中が心地いい混乱を覚えてくる。中毒性が高すぎる。

その特殊な構造と欲望溢れる文章に夢中になり、どんな壮絶な、破滅的な結末を迎えるのかと期待が高まっていたら。いい意味でとても裏切られた。

冒頭で切って捨て去られたと思い込んでいた馬鹿みたいな純粋さに帰結していく。愚直なまでにひとつのことを愛する気持ちと挫折だと思い込んでいた日々を糧にして、再び主人公がペンを取るところは、作品の中でずっと軽んじられていたように見えていた熱量を感じた。

そして、サークルクラッシャー麻紀の存在が全く別のものになり物語は始まりに戻っていく。

読んでいる間ずっと圧倒されるし疲れるけど、必ずまた読んでみたくなる。

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7.『はるか、ブレーメン』 重松清

昔から大好きな作者に、ここに来てこんなに喰らわさられることがあるんだと驚いたし、幸せだった。

現実からはみ出した能力が大事な要素の一つになっているんだけど、そのある種のリアリティのなさを感じさせないほど、今を生きて死に向かってゆくなかでの大切な言葉がたくさん詰まっていた。

「結果よりも過程が大事」とか、「悔いのないように生きる」とか、よく聞くし大事なことだとは思うけれど、それとはまた別物の、「死ぬ瞬間をどういう気持ちで迎えられるか」という新たな視点をもらえたし、その点においては苦しみと喜びの多寡はあまり重要でないかもしれないと教えてくれた。

”大切な思い出は、正しい思い出とはかぎらないからです”

”幸せな思い出と、幸せそうな思い出というのは、違うんだ”

”楽しい思い出が残ってるからつらくなることも、人間にはたくさんある”

”つらい思い出のどこが悪いんだ?”

”悔いのない人生というのは、自分は一度も間違ってこなかったという、ずいぶんずうずうしい人生かもしれないぞ”

”悔やみつづけても間違いは消えない。でも、間違えたことに気づかないと、悔やむことすらできないんだよ”

”恨んでた人はいるけど、いま恨んでいる人はいない”

大上段に構えてではなくて、あくまで自然な会話の中で気づかせてくれる投げかけがたくさんあって、中盤は思わずため息が漏れるほどだった。

日々の過ごし方や残していけるものに目を奪われがちになってしまうけれど、間違いも失敗も後悔も、マイナスがあるからこそのプラスとかではなく、返上しなくてもマイナスも含め全てが大切で不可欠な要素であり、全てを抱いて死を迎えるのだと、肩の力が少し抜けて、焦りも減った気がする。

あと、主人公親子の病室での会話もすごくいい展開で、お互いの心が開いていく様子が目に浮かぶようだった。

ふとした時に読み直して、大切なことをまた教えてもらいたい。

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8.『私たちの世代は』 瀬尾まいこ

あの3年間を経たからこその作品の代表作になると思う。

コロナの流行期間の、渦中の悲しさに焦点を合わせるのではなく、起こり得る、起こり得ている、未来への影響を描きつつ、しっかりと光を感じられる。

決して軽くないことが主軸だけれども、作者特有の明るさや人としての強さを楽しめる作品。

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9.『おいしいごはんが食べられますように』 高瀬隼子

普段の生活の中では、その引っ掛かりに気づいてもやり過ごすようなモヤッとしたことを、わかりやすく言語化してその正体を暴いてくれている。全てとは言わないけどそこに爽快感を感じる人は少なくないと思う。

美味しいものに対する考え方や他人との共感共有の仕方についても、無理して頑張らなくてもいいんだと安心させてくれる。

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10.『N/A』 年森瑛

面白さで痺れた。文章の切れ味、当たり前とされる価値観への疑い、多様性という名の枠での狭め方など、個人的にめちゃくちゃ刺さる部分が多かった。

”何度会っても、うみちゃんとの会話のほとんどは脊髄反射に近かった。身体の中に浸透しない。ぶつかったものを打ち返すわけでもない。ひたいの十五センチ手前くらいで、上澄みの言葉だけで跳ね返っていく会話だ。”

”そういえば話す途中に顔のパーツがあちこちに分裂したり、かと思いきや急に中心に集まって、目の中で温泉卵の臭いが発酵し出すところは、見覚えがある、恋をしている人の様子だった。”

”まどかは当事者性なんて一つも持っていなかった。身体的特徴と食生活以外に、その属性の枠組みの中にいる人とまどかが共有できることはほとんどなく、世の中が想像する属性のイメージとも適合しないのに、まどかへ向けられる態度は、その属性への対応として推奨されるものばかりだった。”

思春期だからというわけではないけど、自身へ投げかけられる視線を(あたかも)俯瞰で冷静に見れていることによる鋭い思考は、読んでいてハッとさせられるし小気味いい。おそらく朝井リョウの『正欲』読んだことある人は、共通する部分見つけて頷ける部分が多いと思う。

でもそのある意味傲慢さを伴った考え方は、あくまで自分自身に関するものであって、他者がどんな考えでいるか、どうやって自分の気持ちを最善の方法で投げかけるかという点においては思い上がりと至らなさが露わになっていく。苦境にいる友人へのLINEの送り方とか、元カノが今も自分に固執していると考えているところとか特に。恥ずかしさと無力さを経験した上でのラストの一言は、120ページ弱という短い物語の中での少女の大きな成長・変化を感じずにはいられない。

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11.『くもをさがす』 西加奈子

ただただ圧倒された一度目。

内容や考えを体に染み込ませようとした二度目。

さらに違う部分に面白さや意図を感じ始めた三度目。

3回読んだけど読むたびに作品と著者の素晴らしさと底知れなさが増して、同じ時代に生きて読めたことに感謝するばかり。

カテゴライズするべきではないのだろうけど、単なる(この言葉も間違っているけれども)闘病記(共存の記録)に収まらず、考えや感情、状況とリンクする芸術作品の引用があり、それらが読み手の理解を助けてくれることもあるし、著者の深淵をさらに深いものに感じさせることもあって、読み物としての芸術性がとても高いと思った。

読み返すたびに、「くも」自身とそれが示すメッセージ、「もうひとりの自分」という乖離した存在の意味の変化などたくさんの気づきがあって、今まであまりしてこなかった「同じ本を何度も体験することの良さ」に気づかせてくれた。これからの読書の仕方が変わりそう。

それに負けず、初体験の時の衝撃もものすごくて、個人的には両乳房切除手術の際の、「1977年生まれの、ニシカナコです」という一言から、乖離していた自分自身との一致から、爆発的に文章の面白みやエネルギッシュさが増すところがめちゃくちゃ好きだった。(それまでの文章が決して物足りないわけではないし、著者からあまり感じたことがなかった負の感情の吐露はすごく良かった。)

そこからがイメージしていた西加奈子というか、むしろ前半のがんとの共存の日々を経たからこそ、さらに人間としての広さと深さを増した文章は、とても貴重で贅沢なものだった。

そこには、がんやコロナを始め、現代ならではの様々な問題に対する著者の考えが散りばめられている。どのトピックにおいても感じるのは、著者の目に見える範囲での主観と、それには収まらない考え方があるというとても優れたバランス感覚と度量の大きさだ。

この感覚があるからこそ、他者にも、もうひとりの自分にも、まだ見ぬ「あなた」にも、大きく優しく声をかけてくれるのだろう。

そしてその優しさを持っていたとしても、独り占めしたい素晴らしく美しい瞬間があるというところも芯の強さと気高さを感じた。

”私は、私に起こった美しい瞬間を、私だけのものにして、死にたい。いつか棺を覗き込んでくれたあなたが、いつか私の訃報をどこかで知るあなたが、そして、私の死に全く関与せずにどこかで生きるあなたが知らない、私だけの美しさを孕んで、私は焼かれるのだ。
だから私の「全て」は、結局、私が決定したものである。
乳房を失った私の体が、今の私の全てであるように、欠けたもののある私の文章は、でも未完成ではない。欠けたものの全てとして、私の意思のもと、あなたに読まれるのを待っている。そこにいるあなた、今、間違いなく息をしている、生きているあなたに。それは、それだけで、目を見張るようなことだと、私は思う。”

3回読んだら少しは上手くまとめられるかなと思ったけど、読むたびに増えていく好きはまとめられるはずなんてなかったし、見返すだけでも語り合いたい部分で溢れている。

この作品に出会えて、読んでよかったと心底思わせてくれる今年ナンバーワンの傑作。

続編ってわけじゃないけど、『わたしに会いたい』もこの作品を読んだ後に必ず読んでほしい。

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12.『妻はサバイバー』 永田豊隆

壮絶な闘いの記録に圧倒された。

貧困、虐待などの「見えにくい」問題に起因する「見えにくい」精神疾患は、周囲や社会の偏見の目に晒され、さらに「隠すべきもの」として見えにくくされてしまう現状が記されていた。

自分にもアルコール依存症を患っている知り合いがいるので、その人はもしかしたら「快楽におぼれていた」わけではなくて「苦痛を緩和」したかったのではないか、甘えやだらしなさで歯なくて、根本的なその苦痛の原因はなんだったのかまで当時は考えが至らなかったし、周囲は「イネイブリング」をしてしまっていたのではないかと今更ながら思ってしまう。

逃げてしまいたくなるような終わらない辛さに直面し続けながらも、闘い抜いてきた二人だからこそ得られた穏やかさが最後にはあって、身勝手ながら安心してしまった。

著者は自身のことを「伴走者でしかなかった」と言っているけれども、『どうしても頑張れない大人たち ケーキを切れない非行少年たち2』にもあったけど、なんとか食らいついてその存在であり続けようとしていることこそが、何よりの救いなんじゃないかと思った。

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13.『なんで僕に聞くんだろう。』 幡野広志

『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』で抱いた著者への印象からより人としての鮮烈さが増した。

多種多様な質問への距離感が絶妙。常に寄り添うのでもなく、突き放すのでもなく。それは、「どうせ死ぬから」という一種の開き直りの前に、作者の他者や事象に対する捉え方が極めてニュートラルだからなんじゃないかと思う。

”大切という言葉には、邪魔という意味が込められているんだなぁっていつも感じます”

”勇気をださずに行動しないあなたに勝ち目はありません。彼女が強敵というよりも、あなたが敵として弱いだけです”

”夢や目標を叶えられなかったことが悪いわけじゃないです。自分ができなかったからといって、足を引っ張ったり、目標に進む人を嘲笑したりすることが悪いのです”

”親はもちろん、周囲の人間全員にいい顔してもらうことなんて不可能なの。そんなことよりも自分がいい顔になることを考えなくちゃ”

質問を読んでいても、著者がどの角度から回答するのか予想がつかないし、言葉が悪いけどそこにワクワクを感じてしまう。

ひとりの人としても、「死ぬ側」の立場の意見としても、きっかけになるような言葉がたくさんあった。

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14『永遠と横道世之介 上・下』 吉田修一


世之介ファンとしてはボリュームも内容も大満足。

しかも下宿で生活しているなんて大好きな設定だし似合いすぎている。

格好つかないけどじんわり周りに与える影響は相変わらずで、誰のそばにも彼がいることを感じさせる。

”この世で一番カッコいいのはリラックスしてる人ですよ”

やっぱり世之介みたいな友達がほしいし世之介になりたいと改めて思ってしまうシリーズ最終章。

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以上14作品。

小説にしろエッセイ・ノンフィクションにしろコロナ禍を題材だったり要素にしている作品が多かった。

これからも濃度の差はあれどどんどん日常や人生の一部として描かれていくんだろう。

全部良かったけど『くもをさがす』は圧倒的でした。

来年はもっと冊数少なくなってもいいからちゃんと感想残しながら読みたい。

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