ないものねだり【8月18日(金)】
夕方、渋谷にある心療内科に行ってきた。この1ヶ月の経過を伝え、体調もだいぶ良くなってきたことを話した。以前血液検査をしたときの結果を渡されたのだけど、陸上をやっていたときの癖で貧血になっていないかと赤血球・ヘモグロビンの値をついつい見てしまう。貧血どころかわんぱくなくらい健康な数値だった。
帰りに奥渋のカフェへ寄った。読書をしていると隣のお兄さんたちがTikTokの話をしていたのだが、最後に「僕もnoteとか書ければいいんですけどね。難しいっすよね!」と言っていた。こちとら言葉が湧いてきて息をするようにnoteを書けるのに、TikTokの騒がしさには未だに慣れないんですよ!と叫びたくなった。いろいろな人間がいる。それぞれないものねだりで成り立っているのかもしれない。
そのとき読書をしたのは、本棚から久しぶりに引っ張り出した塩谷舞(しおたん)さんのエッセイ『ここじゃない世界に行きたかった』。
学生の頃から、milieuで書いている記事を読んだり、noteを読んだり、しおたんさんの書く言葉が大好きだった。そういえば、自分と同じ天秤座の人が書く文章に共感しがちなのだけど、しおたんさんも天秤座だ。
なんとなく気分で本棚から出してきたのに、しおたんさんが24歳のとき適応障害になった話が出てきた。そこに出てくるのは社会人になってベンチャー企業でバリバリ働いて、自分の嗜好よりもCTRがどうとか、読ませるためにはどうするか、バズを狙うためにどうするかを追求した結果疲労骨折を起こしたと書いてあった。もちろん、スキルのレベルや実績は果てしなく遠い方だけれども、そこに書いてある内容は全くと言っていいほど自分が見たものと重なる光景だった。
世の中は動画全盛の時代。TikTokにYouTube、Instagram。あらゆるサービスを開けば、アルゴリズムによってサジェストされたコンテンツが表示され「お前はこれを見ろ」と押される。タイパなんて言葉も出てきている。短い尺の動画でどれだけユーザーが視聴維持できるか、可処分時間をコンテンツに割いてくれるか、そこから訴求したい商品の購買につながるかが重視される。
本来の自分は美しくて、静かに心動かされるような表現に憧れを感じているのに、気づけばそんなものはどこかに置いて、頭のリソースを世の中がきっと求めるものへ割きすぎた。
もう少しあとの文章にしおたんさんはこんなことを書いていた。
そうだ。ちょうど上司とも復帰後について「文章を書く仕事中心」にしたいという話をしていたのだけど、自分の感性に従っていいんだな。そう、心に余裕が欲しい。そして、もっと良い文章を書けるようになりたい。
動画だ、タイパだと言う世の中を追いかけていくのはできないかもしれないけれど、心が豊かになるような良い文章を届けたいと思うのは確かなのだ。