反対があるから生まれるもの
反対があるから。
反対とは、何かに、何かの意見に異議をとなえるではなく、表裏の反対。
プラスがあるからマイナスがある。その反対も同じ。
違反者がいるから、犯罪者がいるから警察の出番が出てくる。
ポイ捨てされたのか?タバコの吸い殻が落ちていたり、ゴミが落ちていたり。
ゴミを捨てる人がいるから、街をきれいにするゴミ拾いをする。同じ街に住んでいながら表裏一体。
同じ街の人同士、ゴミを捨てる人と拾う人で分かれていてゴミを拾う活動をする人達がでてくる。
ボランティアで気持ちでゴミを拾い、街をきれいにしたいと思っている人はもちろん賞賛されるべきだ。
だけど、その行動はゴミを捨てる人がいて成り立つ。
社会貢献活動にゴミ拾いがある。
これも素晴らしい活動だと思う。
その社会貢献活動は、ゴミを捨てる人がいてはじめて貢献活動としてとらえられる。
なんだか不思議な関係だ。
もちろんゴミ捨てをしない、ゴミが落ちていない街が素晴らしい。
車に乗っていて、タバコの吸い殻をポイ捨てする車を見た事ある。
あの行為は、ゴミを拾う人へ貢献活動しているのだろうか?
誰かが拾うし、自分の小さなゴミくらい。と捨てるのだろうか。
地域外に住んでいる人がゴミ捨て、住んでいる地域内でゴミを拾う活動していたらどうだろう。
ゴミ拾い。これは、本当に個人的に素晴らしい活動と思います。
私も微力ながら、当たり前ではありますが店舗前のゴミを拾い清掃しています。
自宅付近でもたまにゴミが落ちていたら拾って捨ててます。
捨てる人がいなければ、やらなくても良い活動。
本当なら、元々やらなくても良い活動なのかも知れません。
だけど捨てる人がいるから、その活動が生まれてその活動をしたいという気持ちが生まれて、表彰されたくて拾い続けるというよりも、街を綺麗にしたいとういう気持ちが生まれる。
ゴミを拾うのが仕事であり、それで給与を得ている人がいれば、ゴミ拾いが仕事になりそこに生活が生まれる。その人からすると、ゴミを捨てる人は仕事を作る人である。
ゴミを捨ててもらわないと仕事にならないし、仕事がなくなる。
立ち位置によっては、ものすごく面白い流れになっているな。と考えた浅はかな無能な私が思った事。
別にゴミ拾いをけなしたりバカにしたりしているのでは無いです。前の文で書きましたが、私もゴミ拾いをせまい範囲ですが行っています。
知っている人は、ゴミ拾いの活動をしています。
素晴らしい活動です。
なぜこの行動に表裏があるのか?反対が生まれるのだろうか?と同じ街の住民同士でこのプラスマイナスの行動をお互いにしているのだろうか?と少し考えただけです。
交通違反の取り締まりをしている警察に、違反させるのではなく違反する前に注意してくれよ!って思うのと似ているかな?
ふと思った事を書いてみました。
ゴミをポイ捨てしないでくださいね!