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仏教に学ぶ生き方、考え方「利益とご利益」

「利益とご利益」

 皆さん、利益(りえき)は好きですか?私も含めてほとんどの方は利益が大好きだと思います。働いたらその分、お金がもらえたり、働いた分以上に儲けが上がると嬉しいですよね?

 でも世の中そんなに甘くはないもので、段々と下がる給料や給付金や年金と、高くなる日用品や食費に挟まれて苦しい思いをしている人は多いと思います。

 なので困ったときの神頼みとばかりに、神社仏閣にお参りしてご利益(りやく)を賜りたいと思うことも多いと思います。「今年こそは給料が上がりますように!」「今年は商売が上向きますように!」と祈願をしたりします。

 自分への利益とご利益はまさに漢字も一緒ですし、同じように考えている人も多いと思います。

 でも同じ漢字ですか、実はご利益は利益と一緒ではないのです。もっと言えば全く違うものと言ってもいいかもしれません。同じ文字なのに全然違うなんて日本語はややこしいですよね?

 では本当のご利益とは一体どういうことなのでしょうか?そしてそれがなぜ大切にされているのでしょうか?

 まずは言葉の意味を調べてみると利益は「ためになること、もうけ、得」とあります。対するご利益には「功徳、仏や神の力によって与えられる恵み」とあります。つまり、利益はお金やものなどが手に入り、それによって生活が豊かになったり美味しいものが食べられたりすることと言ってもいいでしょう。対して功徳とか恵みというと、目には見えませんし、もらったかどうかもわかりませんので、実感しにくいとも言えます。

 ここまで聞くと、目に見えるほうがいいよな~と思ってしまいますが、ちょっと待ってください。本当にそうなのでしょうか?

 例えば、最近は親は選べないことを「親ガチャ」などと言ったりするそうですが、もし親を選べるとしたら、「なんでも好きなものを食べさせてくれて、なんでも欲しい物を買ってくれる親」と「なかなか好きなものを買ってくれない親」とどちらがいいでしょうか?

 もちろんなんでも買ってくれる方がいいに決まってますよね。でもいつもそういう生活をしていると、どんどん甘えてしまい、たまに買ってくれないときがあると「なんで買ってくれないんだよ」と逆恨みをしてしまうこともあります。でも親に何も買ってもらえなくても、仕事を一生懸命している後ろ姿を見せてもらったり、話し相手になってもらったり、人生の考え方、生き方を伝えてもらう親だったらどうでしょう?きっと大きくなるに連れて、そういう親の方がいいなあと思えるようになると思います。

 このようにご利益は、実際になにか見えるものではなくても、人生にとって大切なものをいただいていると言うことではないでしょうか?そしてそれは一度もらったらもう失うことはないのです。

 では仏教のご利益とは一体どういうものなのでしょうか?阿弥陀如来様を拝むことでいただけるご利益とはどういうものなのでしょう?

 これは一言でいうと「安心していいんだよ、あなたはあなたのままでいいんだよ」ということを言っていただいているご利益ということだと思います。「私たちが思う思わざるにかかわらずに、もうすでにここにいて、私たちをそのままですくい取って苦しみ悲しみのない悟りの世界に連れて行ってくれる」、そういうご利益が阿弥陀如来様にはあるんです。

 と言われてもまだまだ元気だし、自分が死ぬなんてこと、ほとんどの方は意識すらしていないと思います。
 
 逆に言えば意識していないから、今日という日をゆったり生きていられると言ってもいいでしょう。

 でも遅かれ早かれ、人は必ず死を迎えます。自分の死を意識し、不安に駆られる人に阿弥陀如来様はちゃんと手を差し伸べてくれているのです。

 利益とご利益の違い、なかなか実感できませんが、そういう精神世界が仏教にはちゃんと考えられている、これを思うだけでも安心して毎日を過ごしていただけると思います。

☆今日の一句☆
  損しても
     あなたは御利益
          もらってます



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