ほとけさまのおしえ「分かるということ」
何かを理解したときに「わかった」と思います。
そしてわからないことがあると、なんとか思いを巡らして「理解しよう」とします。
例えば「山はどうしてあるんだろう?」とか「虹はどうしてかかるんだろう?」とか思うと、スマホで検索したり仮説を立てたりします。
それはわからないことがあるとモヤモヤしたり不安になったりするからです。
そして調べて納得すると「あ〜そうなんだ~」と分かるわけです。
でも本当にそれはわかっているのでしょうか?
それはクイズで出されたら答えて説明することができる状態で「他のものと区別できる」状態だけなのでは?と思うのです。
生きている意味や理由を求めて「仏教を求める」人は多いと思います。
でも「人生とはこういうものだ!」と言えることと、わかるということとは違うのではないかとも思うのです。
そして何かわからないものを「安易に」分かろうとせず、淡々と「求めていく」。
そういう姿勢が「道」になり「法」になっていくのでは?と感じております。
☆今日の一句☆
わからずとも
わかったつもり
抜け出そう