生殺与奪の権を私に握らせるな❗
今年に入ってから毒母の体調が思わしくなく、今年に入ってからは主治医の先生から、
「いつどうなってもおかしくない状態です。覚悟をしておいてください」
と、言われ、お世話になっている老人ホームさんからも、
「お母様がもしもの時には、スムーズに手続きが進められるように葬儀屋さんに連絡を取っておいてください」
と、言われてしまいました。
(実際にはこんなにストレートではなく、もっと何重にもオブラートに包んだ感じで)
毒母にはこれまで色々とひどい目にあってきたので、冷たいかもしれないけど、悲しいとか寂しいとか辛いとか、父の時に感じたような気持ちはあまりわいてきません。
ただ「ああ、あの人にも終わりの時が近づいているんだな」という、割と淡々とした感じだったのです。
母の容態が悪化したキッカケは、昨年末。
食欲不振で点滴を受けることになり、合わせてそれまで処方されていた精神を落ち着ける漢方薬もいったん休止することになりました。
すると、今度は精神が解放されたせいで、色々と元気になりすぎちゃって老人ホームで大暴れ😱
スタッフさんへの暴言や暴行、他の入居者さんの部屋へ突撃していったりと、不適切な言動が過ぎるので、またしても施設の方から、
「これ以上、酷くなるようでしたら、私どもの施設での対応は難しくなりますので、お母様には別の施設…もしくは精神系の病院へ入院していただく形になります」
との宣告が。
ぎえー。
また追い出されちゃうのかー😱
困る。
それはヒジョーに困る。
慌ててこれまで飲んでいた漢方薬を復活させたのですが、それでも母の大暴れは、一向に収まる気配がありません。
そこで老人ホームからの指示で、かかりつけ病院の精神科で診てもらうことになりました。
認知症の検査なども含めた診断の結果、これまで飲んでいた漢方薬よりも強めの精神を静める薬が処方されたのですが、今度はその薬が効きすぎてしまいました😱
暴言&暴行はなくなったものの、生きる気力も無くなっちゃって、今度は廃人みたいになってしまったのです😱
母はただ寝ているだけ、食事もとれない、という状態になってしまいました。
いろんな意味で薬ってコワいなーと思いつつ、主治医の先生共々「これは効き過ぎてしまった。いかん、いかん」と、慌てて薬をやめてもらったのですが、薬をやめても毒母の元気は戻ってきません。
とにかく食事がとれないので、点滴をすることになりました。
それでも、元気は戻らず。
そんな感じで、しばらく断続的に点滴をしながら様子を見ていたのですが、3月になり、
「お母様の今後についてご相談したい」
ということで、病院から呼び出されました。
主治医の先生からのお話では、食事が取れない状態が続いているので、今後どういう対応をするか聞かれました。
1、鼻からチューブをいれて栄養補給(入院)
2、手術で胃ろうを作り、胃から直接栄養補給(入院)
3、点滴を続ける(入院せず老人ホームで訪問介護)
その説明を聞きながら、自分でもビックリしたんですけど、涙が溢れそうに目の奥がウルウルしてきてしまったんです。
これまで散々酷い目にあわされた毒母なので、お葬式でも泣くことなんて絶対にないだろう、と自分では思ってたんですが、まさか、なんで、涙が❗❓
でも、単純に母が死に瀕しているのが悲しいという感情でも、ないような気がする。
なんだか分からないけどウルウルが止まらない。
何か言葉を発したら、それをキッカケに本格的に泣き始めそうだったので、先生の説明に、ただ無言でうなずくだけでした。
自分のことなら決められますが、他人のことは決められません。
たとえ家族といえども。
しかも、生死に関わることです。
選択肢1、2の鼻チューブや胃ろうをすれば、多少の延命は叶うかもしれませんが、本人は相当苦しいでしょう。
しかも胃ろうは一度つけたら「治ったんで元に戻しますねー」というわけにはいきません。
しかも、母の性格上(あんまり延命を望まないタイプ)この2つを選んだら、
「よくも、よくも、私をこんな苦しい目に遭わせたな❗」
と、相当な熱量で怒り狂うのは明らかです。
(生きてる間はもちろん、死後もずっと恨まれて祟られそうです)
私に毒母への恨みがあるなら、苦痛を伴う延命を望まない母に対して、肉体的に苦しい思いをしそうな1(鼻チューブ)2(胃ろう)を選ぶ…なんていう非情な考え方もあるかもしれませんが、私もそこまでして恨みを晴らそうという気持ちにはなりません。
かといって、選択肢3(点滴)の場合は別の問題がありまして、現在の老人ホームでは毎日点滴をすることができない、ということ。
法的な理由で1ヶ月のうち2週間しか点滴できないみたいなんですね。
もし、ずっと点滴を続けたければ別の介護施設に移る必要がある、とのこと。
ここまで衰弱している母に、それはそれで負担が大きそうです。
(母だけでなく、私の時間的、経済的、体力的にもきつい💦)
しかも、点滴を続けることで回復して元気になるんならいいんですけど、今回は延命的な意味合いが強い、とのこと。
父が亡くなった時も思ったんですけど、点滴をすると、そもそも体が栄養を吸収できない状態だからむくみが酷くなったり、痰が増えて苦しそうだったり…確かに延命はできるかもしれないけど体的にはかなりしんどいような気がしたのです。
しかも、点滴をやり過ぎると、今度はだんだん血管に点滴が入りづらくなったりするということもあるみたい。
下記↓記事の中にもあるんですが、終末期には食べられなくなって脱水症状になっていく方が体的にはラクだと。
イメージとしては、枯れていく感じですよね。
私も感覚的に、その方が自然なのかな、という気がします。
そんなわけで、色々と現状の母への負担が少ない方法で考えていくと、今いる老人ホームで2週間ごとに点滴をしてもらう形になりますが、そうすると、点滴がない期間に栄養不足となって亡くなる可能性が高い。
つまり、それを選ぶと一番早く死んでしまう可能性が高いというもの。
…ど、どうすればいいんだよ。
選べないよ😱こんなの😱
っていうか、
生殺与奪の権を私に握らせるなッ❗❗❗
と、思わず叫びそうになりました。
主治医の先生からの思った以上にハードな説明に、すっかり、まさりの脳の処理能力を超えてしまいました。
ほんとにもう、どうしていいか分からなくなり、
「え…っと、すみません、あの…弟がいるので…弟とも相談してまたお返事させてください」
と、なんとか言葉を絞り出して、病院を後にしました。
病院の帰り、老人ホームにも寄って担当者さんとも話をしました。
点滴がない期間、衰弱はしていくかもしれないけど、本人の力で食べられるだけ食べてもらいながら、もしもの場合は看取りまで可能です、ということでした。
その担当者さんも、延命として点滴を続けるのはやっぱり本人の負担になると思う、という考えで、私と同じだなと思いました。
結局、私は選択肢3(断続的な点滴)を選びました。
1か2を選べば生き続けられる可能性があるにもかかわらず、一番死に近い選択肢を選んでしまった。
よく、死刑執行のボタンは精神的な負担を考えて誰が押したかわからないようになってるって言いますけど、今回ボタンを押すのは私です。
弟にも相談しましたが、最終的な選択は姉ちゃんが決めていい、という雰囲気だったので、私がボタンを押しちゃった、という思いがズーーンとのしかかってきます。重い。
これは、なかなかきつい決断でした。
いくら毒母といえども。
そして、3月末になり2週間の点滴が終了しました。
ここからは、次の点滴まで本人がどれだけがんばれるかというターンになります。
きつい。
きつすぎる…。
私も葬儀屋さんに連絡をし、老人ホームのスタッフさんとも日々連絡をとりながら、いつ最後の時を迎えてもいいように気持ちの準備をしていました。
ちょうど私的には色々と仕事が重なっていた時期でもあり、
もしここで母が亡くなったら、この忙しいスケジュールの中でお葬式を出し、諸々の事務手続きをしないといけません。
精神面とは別の実務面と言いますか、また違う意味でのストレスとプレッシャーがあり、まさにキャパを超えた混乱期でした。
ですが、なんと。
母は、ここからまさかの大復活するのです。
少しずつ回復の兆しを見せ、半年経った今ではフツーに食事がとれるところまで回復したのです。
主治医も含め、誰もがこのまま衰弱して亡くなるだろうと思っていたのに。
おいおい、どんだけ生命力あるねーん!
(大変不謹慎ですが、ゾンビかよー!って思いました)
『憎まれっ子世にはばかる』という言葉も、チラチラ頭に浮かんできました。
今後のことはわかりませんが、母の生死に関わる決断をした時、少しでも延命させてあげようという気持ちで胃ろうを選ばなくてよかった〜〜〜〜と、つくづく思ったのでした。
結果オーライの話ですけども。
そして、こういう選択はできれば回避してノンビリヘラヘラ生きていたいと思うのでした。