曖昧性の除去は取り調べではない
流言と差別は重要性と曖昧性の掛け算である、と何度も述べています。
そして、それを防止するためには、曖昧性の除去こそが必要である、とも述べています。
ただ、曖昧性の除去は取り調べではありません。
問い詰めるのはハラスメントです。
取り調べはハラスメント
人間は共通点を見出そうとする生物です。
ゆえに、自分と同じところがあるか、聞きたがるところがありますね。
しかしながら、です。
それ、取り調べになっていないですか。
私は曖昧性の除去を推奨しています。けれども、取り調べは推奨しません。
ハラスメントだからです。
人様の情報を一方的に入手したがるのは、卑劣な行為で、テイカーの常套手段です。
一方的ではない双方向だ、と主張したところで、自己開示が自慢であるなら、老害です。
フレネミーになるか、パワハラ老害になるか。
そのどちらか、あるいは、どちらもには、誰でもなり得ます。
ゆえに、曖昧性の除去は、取り調べになることがないように、気をつけないといけません。
わかりやすいのはセクハラ
わかりやすいのはセクハラですね。
実子の有無、婚姻の有無、交際の有無。
問い詰めて何になるんですか。
ただのセクハラです。
日本は、昭和型標準世帯の老害が、言いたい放題喋ることが極めて多かったので、セクハラが蔓延していました。
その結果、産休や育休の参考にするため、という理屈のもと、セクハラがセクハラでないと正当化されてしまったのです。
普通に考えてください。
他人に対して配偶関係や交際関係を問い詰めるのは、セクハラじゃないんですか。
産休なんて、突然出産することはないのだから、予測ができるわけでしょう。
けれども、日本は何故か、22歳前後にセクハラをしても、「参考のため」で正当化されている。
おかしいのではないですかね。
誰でも交通事故死で突然死しますよ。
欠員補充の参考、と言えばセクハラが許されると思う老害の頭がおかしいです。
ルーツ探偵もそう
ルーツ探偵もそうです。
国籍、本籍地、出生地、生育歴。
問い詰めて何になるんですか。
自分が知っている単語が出てきた時に、自慢するためではないんですか。
「ああ、それ知ってる」だとか。
「そこの近くに行ったことがある」だとか。
ベトナムは、マレーシアに近い国です。
けれどもマレーシアではない。
ブラジルは、ペルーに近い国です。
けれどもペルーではない。
日本人は、日本以外の東アジアの国家とは一緒にされたくない、と思う傾向があるのに。
にもかかわらず、東南アジアや南米の人々には、似たようなことを言ってしまうのです。
旅行好きのおばさんが、近くの国に行ったことがあるんだ、と自慢してきた場合、どう答えるのが正解ですか。
「そうですか」としか言いようがないでしょう。
日本人でも外国人でもそうですよ。
曖昧性の除去にはメタ思考とメタ視点
曖昧性の除去には、メタ思考とメタ視点をもって臨むのが良いと思います。
ただのセクハラは、流言の防止にはなりません。
「あの人は子どもがいないからわからない。」というおばさんをいくらでも見てきました。
ただの旅行自慢もそうです。
日本生まれ日本育ちの外国人にさえ、旅行自慢をする日本人はいくらでもいたのです。
日本語わかるのかな、という偏見の除去が先ではないですかね。
日本生まれ日本育ちの日本人には、聞く日本語がネイティヴのレベルかどうかさえも分かるのですから、偏見の除去なんて容易なはずです。