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祈り【エッセイ】六〇〇字

 早大エクステンション「エッセイ教室」夏講座(全六課題)、最初の課題は、「祈り」。
 夏講座が始まった翌日が、東京都知事選挙。1974年の第10回参議院選挙が、7月7日だったようで、ちょうど半世紀ぶりの七夕選挙となりました。
結果は、投票所が閉まると同時、開票率0%で当選確定が出る、「ゼロ打ち当確」。19時59分59秒に、スーウっと、投票用紙を箱に入れたとたんに、「選挙速報 !『小池百合子氏当確! 三選』と出ることになる。その締切り直前のお方が、「小池百合子」と書いたとしても、なんか拍子抜けじゃない? ————ということで、都知事選絡みで、「祈り」^^
                ※
 「ローソク出せ出せよ。出さないと、かっちゃく(引掻く)ぞ。おまけに噛み付くぞ」
 七夕の夕方。ちいさな子ども達が提灯を下げて近所を回り、ローソクとお菓子をもらうときに歌う、はやし唄。いまのハロウィンのような感じ。
 前日。中学生の先輩たちと、石狩川の河原に柳を採りに行く。内地のように竹がないので、代わりにする。肩にかついで戻るのが、ちょっと気分が良い。獲物を捕ってきた、狩人のようで。絶対、どや顔だったに、違いない。
 朝。“こより”を付けた短冊を、子らが広場に持ち寄り枝に括る。「オール5!」と、身の程知らずの願いを書いたっけ。
 今年の七夕。東京都知事選挙となった。投票用紙が短冊となり、切実な思いで、一票を投じる人が多かったのではないだろうか。
 投票率は60.62%。私が初投票した美濃部氏再選の回の、72.36%よりも12P弱の差あるが、前回を5.62P、上回った。その要因は、次点の石丸伸二氏が無党派層の受け皿になったこと。これは否定できない。決して、現職知事への信任を意味しない。嘘ついたら「噛みつくぞ」の意味もあると、理解したい。
 翌朝、大人も加わり柳を石狩川に流しに行く。足取りは重い。皆の願いや祈りが込められた、色とりどりの短冊を目で追っていたあの日。旧暦の北国とはひと月ずれるが、60数年前を、今回の選挙と重ねて想い出していた。

(ふろく)

都知事選【雑感】一八〇〇字



 都知事選の結果は、正直言って、とても残念である。私が誰に票を投じたかは、前回のエッセイの(おまけ2)で、おわかりだろう。神宮外苑再開発に反対する「SAVE神宮外苑ミーティング」に参加したことからも。むろん、蓮舫氏である。さらに、憲法、防衛・安全保障への考え方では、他の候補者とは決定的に異なるので、積極的支持になる。公約という点では、どの候補も大差ないと感じた。突出した政策を打ち出しているとは思えない。カッコ良さげにハデに言っているが、国じゃなく都レベルでできるの? ということもある。あとは、そのひとを信用できそうかどうかの印象の問題になってくる。

note仲間のアートさんも、吠えて(^^)いるので、リンクさせていただきます。

 このnoteで何度か紹介してきた『人新世の「資本論」』の斎藤幸平氏は、神宮外苑再開発問題をかく語る。
SAVE 神宮外苑ミーティング 斎藤幸平

 結論から言えば、敗因は、「イメージ戦略」に欠けたということと思う(いまに始まったことではないが)。この点では、偶然、玉川徹氏(元テレビ朝日社員で、『羽鳥慎一モーニングショー』のレギュラーコメンテーター)が同じような分析をしていた。

 蓮舫氏は、表情に余裕がない、面の皮が突っ張っている感じがする。これは立憲、共産、社民の議員に共通していることと思う。言い方を変えれば、根が真面目過ぎるのである。反して、小池氏には余裕がある(面の皮が厚いとも言える^^)。声や話し方、目尻が下がっていて「たぬき顔」というのも、そのイメージを与えている。対して、蓮舫氏は、「きつね顔」。話し方も、表情もきつく思われてしまった。
 次点と健闘した石丸伸二氏。本文で私も評価しているように、無党派層の受け皿になっている一番手であることは明らかである。余裕のなさも感じたが、それがフレッシュな印象に繋がる効果があった。加えて、歯に衣着せぬ話し方、維新時代の橋下徹氏にも通じる話術、ツイート力(皮肉で言っているのだが)があると言ってもいい(維新には、その「攻撃的」なツイート力がある人物が多い。これも皮肉^^)。(既存政党を批判しておきながら、その強力なバックアップがあったと噂されるが)「選挙テクニック」があったと言ってもいい。しかし、既存政党の(野党を含めた)政治家すべてに「政治屋」とレッテルを貼るのは、「自分だけいい子ちゃん」論理である。「裏金事件」でもあきらかなように、政治家としての矜持を失った「政治屋」は、長期政権を産んできた日本政治の構造的欠陥である。

 あとひとつ。(誤解ある表現かもしれないが、あえて言うと)昭和的な性差別意識があるような気がする。つまり、「女は、ゆったりした、ゆとりがあるような、ふくよかな表情が好かれる」「突っ張り感はマイナス」と、いうような。この点で、小池氏は圧倒的に有利、男である石丸伸二氏は、その「突っ張り」が、逆にプラスになった。蓮舫氏は、大きなマイナスになった、ということだろう。下図を見れば、昭和ど真ん中の高齢者に、その傾向が見られる。

作家の鈴木涼美氏は、9日の朝日新聞朝刊、「『とりあえず女性』のその先は 都知事選を振り返って」の最後で、こう書いている。

過去の実績アピールに忙しいだけの現職に対し、蓮舫氏が掲げた政策は街頭演説などで熱い支持を得た。しかし正しさを追求する高潔さでもっておじさんたちを一時パニックにさせることはできた彼女も、神経を鈍化して時には馬鹿になって生きなければならない社会人女性たちに寄り添うような可愛げはあまりなかった。それは男女問わずどこか嫌味なインテリ臭のするリベラル勢にも大いに言えることで、すでに女性都知事が誕生し、女性であることが目立つ要素にも、逆にネックや弱みにも見えなくなった今、女性政治家の突き付けられる課題は男性政治家のそれに近づいている可能性はある。忙しく、貧しく、必死に生きる市民に、正しく高潔に完璧に生きる贅沢はなかなかないのだから。

「腹黒さがあったほうが人間っぽくて魅力あるじゃないか」ということなのかもしれない。われわれの身の回りで、男でも女でも言えそうじゃないか。真っ白すぎるのは、「可愛げない」と。蓮舫氏に、そんな腹黒さ、腹芸があれば、もっと有利に展開したのかもしれない。しかし、そんな資質があれば、長く野党でいるはずがないといえるが。(笑
誤解ないように最後に言っておくが、それが昭和的な「政治屋」であって、その伝統を変革しなければ、日本は政治後進国のままと言わざるを得ない。
 
もう「政治屋」はいいよ【エッセイ】二八〇〇字


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