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「朝風呂ノススメ」【エッセイ】一八〇〇字

 朝風呂をこよなく愛する。
 大学を卒業し、幸いにも風呂付の部屋に住めることになり、夜だけでなく朝も風呂タイムを愉しんできた。そのうちに夜よりも朝が中心になった。なので、半世紀近く続いたことになる。個人的感想ではあるが、インフルエンザが皆無なのはもちろん、風邪でさえ数えるほどしか経験がない。科学的な根拠はないが、私なりの効用があるようだ。
 とにかく、スッキリする。「さあ、一日の始まりだ」と感じるのである。
 お湯の温度は、夏は38度or39度、冬は40度or41度にしている。42度以上は健康上よろしくない。テレビでもネットでも学んだ。
 入浴時間は、夏は入浴後の汗に難渋するので、必要な個所を清潔にし、「烏の行水」並み、2分位。髭剃りや体を洗った後も同時間。冬はバスタブに前後8分。よほど冷えているときは、12分。
 夜は、入らない。毎日の飲酒が理由。真夏は、ときどきシャワーを浴びる程度。泥酔して入浴し、寝てしまうことは絶対に避けた方がいい。独居の場合は、悲惨な結果になる。とろ火のお湯に鳥の骨付き肉を長く入れておくと、骨と肉が分離するが、その状態になる。ご当人は見ることができないので関係ないが、発見者と身内は、しばらく悪夢でうなされることになるだろう。

 朝風呂で有名なのが、小原庄助さん。「小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上潰した ハー モットモダー モットモダ」

 『小原庄助さん』という映画があったので、さっそくアマプラで観てみた(無料)。主人公は、小原庄助ではなく大河内伝次郎演じる、杉本左平太。むろん、「朝寝朝酒朝湯が大好き」な、一見、ダメ男として描かれる。しかし、杉本左平太は、だらだらした暮らし方をするのだが、頼みごとに弱い男。村に足りないものがあると聞くと、何でも買って寄付してやる。そのため、村の名家で資産家だったのに、急速に没落していく。しかし、「ダメ男」を描いたのではなく、「家柄」というしがらみに苦悩し脱しようとする男を表現している。実は、「小原庄助さん」は、汗水流して労働することに憧れていた。
 ネタバレになるかもしれないが、エンディングロールが秀逸。映画ファンには有名なことと思うが、「終」ではなく、黒い画面に「小原庄助さん 始」だけが表示されているのだ。最後の「始」が意味することが何なのかを頭に置きながら、最初から観るとすべてが本質に結びつくように思う。

 村民から、子供までもが「小原庄助さん」と呼ぶのは、「ダメ男」としてではなく、愛すべき人柄の左平太の愛称として使われている。確かに、「朝寝朝酒朝湯」をするが、怠惰ではない。朝から酒を呑むが、振る舞い酒が好き。ひとが訪ねてくると、朝でも酒をすすめる。
 ある日。村長選挙が行われることになり、立候補をする男が、代々村長になっている名家の杉本左平太に探りを入れるために、酒の席に呼ぶ。その気がないとわかると、応援演説を頼むのだが、その席の酒代をケチり店の者に手でストップの合図をかける。一方、左平太は席を外し店主に代金は自分のツケにするように、根回しをする。そんな太っ腹な男なのだ。
 また、村民たちが、その立候補者が不甲斐ないので、ぜひ立候補してくれと言う。しかし、おだてと頼まれごとに弱いが、村民が口にした「なんといっても家柄が違う」という言葉に、こう言う。
 「いや、家柄より人柄だ」と。
 昨今の、二世、三世の政治屋が多い世にも響く言葉だ。
 左平太は、借金してまでも、モノを買ってあげたり、寄付したりする。この太っ腹な男を支え続けてきたのが、苦労女房の“おのぶ。その借金を返すために、着物を質に入れたり、長くつかえている“おせき婆”にまで借金をしたりして、陰で工面しようとする。

 最後は、左平太は、代々受け継いできた家宝を競りにかけ借金を返すことを決断し、やっとその「しがらみ」から抜け出ることができる。ただ、その競りから外したものがあった。彼が愛読した本と、足代わりに可愛がっていたロバだった(そのロバがカワユイ)。家を出るにあたり、本は村の青年たちに、ロバは子供たちに与えて、ラストシーンを迎える。
 当時(1949 年)も拝金主義の人間たちが多い中、太っ腹な「小原庄助さん」を通して、人間の生き方を問う、社会派の映画とも言えるのではないか。

 「小原庄助さん」のように、きょうも朝風呂をありがたく頂いた。さて、スッキリして、「始」といこうかじゃないか。

一度は暇をとらせた女房“おのぶ”が、左平太を追うシーン

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