「自制」【エッセイ・感想文】一二〇〇字(あらすじを除く) 桐野夏生『日没』(岩波書店刊)を読んで
(あらすじ)
小説家・マッツ夢井のもとに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。「更生」との孤独な闘いの行く末は。(岩波書店刊 桐野夏生『日没』の帯から)
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一昨年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」問題。表現の自由を侵すとして、大きな騒動になった。『日没』は、小説の中の表現が「正しくない」として拘束され、転向を要求される、怪奇的な物語である。
期待して手にした。だが、残念な部分もあった。冒頭の召喚状。問合せ先の記載がない。主人公が検索しても実体がない。しかし彼女は、出頭先であるJR線C駅改札口に向かう。違和感があった。エッセイなら、その不自然さを指摘されるだろう。一旦は「積読」にしようかと思ったが、「まあ、100頁くらいまでは行ってみよう」と、読み始めた。すると、ページ捲りが止まらなくなっていき、徐々に主人公に、同化していくのだった。
施設は、劣悪至極な「矯正収容所」。海沿いの断崖絶壁の脱出不能な立地にある。『パピヨン』の刑務所を連想する。抵抗する度に退所が伸びていく監禁生活を、余儀なくされる。
収監者は、全員が小説家。反体制や反社会的な作品が対象になっている。彼女は、レイプを肯定するような表現が問題とされ、社会に適応した作品を書くように、と強要される。
命令に従順になっていれば、退所できるかもしれないという一縷の望みはあった。絶壁から身を投げる「囚人」が相次ぐ中。刑務所以下の環境であっても耐えようと、屈辱的なことも受け入れて、「模範囚」を演じ続ける。
ところが、ページが3分の2を過ぎたあたりから、急に反抗的になる。その時点から、彼女への扱いが絶望的に一変してしまう。それまで感情移入しながら読んでいただけに、その急変ぶりに「やめてくれよ、一生出られなくなるじゃないか」と、声を発しそうになった。
自分なら、「模範囚」を演じ続け、まずは早期に退所することだけを考えるだろう。しかし、筆者は違った。少々無理があるような急展開であるが、桐野自身が、小説家としての矜持を主張したかったのだろう、と思う。
「収容所」は、小林多喜二のような戦前の話とか、ミステリーやホラー映画とか、特異な世界のようだが、現実の投影でもある。
モリ何某による女性蔑視発言に抗議し、聖火ランナーを辞退した長崎県の大学院生の女性に対し、同県が辞退理由を「諸般の事情」に変更するよう「提案」した(読売新聞)という問題。「学術会議問題」も然り。さらに、収監以上に恐ろしいことがある。「忖度」「自制」と、政権へ疑念があっても、選挙のときには忘れている、我々国民の特有な「忘却癖」だ。
重苦しい雰囲気のままであったが、一気に読み終えた。しかし、判然としなかったのは、冒頭の部分と急変した展開以外に、終わり方にもある。本作品は、雑誌「世界」に連載されたものの単行本化であるが、最終話の再校の段階で、15行を書き足したようだ。ネタバレになるので詳細は省くが、その15行のあるなし。その違いの感想を、他の読者に聞いてみたい。私は、追加せずに、読者の想像力に任せるべきだった、と思うのだが———。