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長生き【エッセイ】六〇〇字

早稲田EC「エッセイ教室」二回目の課題(全八課題)、「長生き」。重い課題を出してくれたもんだ。これを重々しく書くと、さらに重くなる。されど、軽すぎると「生」を舐めてんか、ということになる。サテ…。
人生は、「長く生きることに意味があるわけではなく、いかに生きるか」である。が、「こうして生きてきた」と自慢できるひとはいいが、常人の多くは、可能な限り長生きしたいと願うだろう。
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 「人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい」は、樹木希林さんの言葉。
 ワタクシも、そろそろ。とりあえず、十年? できれば、二十年! だが、五百歳まで生きたいかと問われれば、「NO!」である。学生時代のような若いままなら、「むろん!」だけど…。
 母のお腹の中で、「塵芥」が合体し、(毎朝、蒲団の中で眠っていたいと思うように)浮遊したまま出たくなかったはず。だから、泣く。笑って出てきたなんて話、聞いたためしなし…。
 この世に慣れ、恋愛も失恋も経験し、「老」「病」なる自裁不可な「苦」を経て、「得体知れない」コトに向かって行く。佳き夜はそのまま起きていたいように、いつまでも生きていたいと思うのは自然。が、老人ジジババだらけになってしまう。産まれる時もそうだったはずだが、「得体知れない」だけに不安になる。両親は五十代で、健さんや八千草さん、大江さんや龍一さんも経験した。この先、小百合さんでさえも…と、自分に言い聞かせる。
 宇宙時間に比べれば、五百歳も瞬きにもならない。何歳だろうが、大差ない。しかし、せっかく生を得たからには一日でも、長く。なら、「美しく輝く塵」になるまでは、「今」を、精一杯、生きがいを持って全うし、最期は、「ピンピン・コロリ」で。だから、いつも通りに、ジムに行く。ウォーキングをする。
 区から健診の報せが来ていたな。今年もそろそろ、電話せねば…。そして、自分を見つめるため、きょうもエッセイを書く。作家気取りで。

TOP画像:「気象学enレッド」から

(ふろく)

こんな生き方もある。ロッキンローラーの彼は、樹木希林さんの遺骨をポケットに入れて、立ち去った、らしいね。

朝日新聞朝刊(10月13日)


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