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人格主義の回復をレゴ®シリアスプレイ®で実現するファシリテーターはパフェを食わない。

こんにちは。三連休ですがその初日はお仕事をしてまいりました。話す機会が多すぎて喉がカラカラ。それでも一定の成果を得られたなと感じている。


人を呪わば穴二つ。

組織が大きくなればなるほど他部門のできていないところばかりに目が行ってしまうは世の常。明治新政府も、あれだけ幕末に協力し合った薩摩と長州のあいだですら課題は大きくなったわけでもあるし(そのとばっちりを受けた方々も数しれず)。どんな世界でも「あっちが悪い」のオンパレードだ。

人を呪わば穴二つ、という言葉がある。要するに誰かを呪うのならば自身の(墓)穴も掘っておかねばならないという戒めに近い諺。改善策を用いずに相手を批判する行為はもう呪いとしか思えない。そんな呪言を聞くに耐えない思いが人様から溢れ出ないためにLSP認定ファシリテーターは存在する。

頑張れば・・・的な表現。

少し古めの書籍だけれど、先日「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」を読了した。と言ってもaudiobookに新着があったから気付いた程度の軽い出会いではあるのだけれど。そのなかでもこの呪言について多くのエピソードとともに書かれていたわけだ。言うほうも言われたほうも穴が必要。

話が少し変わるが、7つの習慣が気持ち悪いと表現されるひとつに「頑張ればWin-Winになれるかもよ?シナジーを生めるかもよ?」的な表現があったりする。しかしながら信頼関係を構築できない相手、言ったそばからパフェを食っているような奴とはそんな関係はありえない、ということになる。

したくなければ合意しなければいい。

個人的なコーチングの際にも「信頼関係を構築できない相手からは逃げたほうがいい」と伝えるシーンも多々ある。そればっかりでは駄目なのだろうけれど逃げることは決して悪いことではない。そのために逃げる前の呪言のようなワードをポジティブな言葉に置き換えていくことも重要なのだと思う。

時代背景は違うにせよ、実際自分自身の若い頃を考えてみても、イケてる同期→どうでもいい若者、嫌な上司→どこにでもいるオジサン、嫌いな先輩→自分の歴史年表に参加していない人、と置き換えてみると、意外とスッキリした記憶がある。要するに合意したくなければ合意しなければいいのだ。

結局は人格主義の回復。

ここで書く「合意」は第4の習慣で言うWin-Win Or No Dealで表現される「合意」とは少し違っている。それでも書籍内で「人間関係は人格の土台の上に成り立つ」ともあるように人格の伴っていない関係に信頼は一生訪れない。だからこそ7つの習慣はただひたすらに人格主義の回復を謳っている。

人格の土台ができたら、その上にWin-Winの人間関係を築いていくことができる。Win-Winの人間関係の本質は信頼である。信頼がなければ、できるのは妥協だ。心を開いてお互いに学ぶことも、気持ちを理解し合うことも、本当の創造力を発揮することもできない。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第4の習慣:Win-Winを考える」Win-Winの五つの側面 より引用

組織間の信頼もこの言葉に集約される。呪の言葉を吐く前にやるべきことがあるのだ。だからこそレゴ®シリアスプレイ®は存在し人格のブロックは参加者ひとりひとりが握っているのだ。穴を二つ用意するのか。それともポジティブで色とりどりの人格同士を組み合わせるのか。答えは言うまでもない。

最後に。

千葉の船橋に二日間いたわけだが、帰りに幕末戊辰の史跡を巡ってみた。わずか150年ほど前にこのあたりでも戦争がおこなわれていた。戦争もそうだけど人格と信頼だけでも何ともならないときも確かにある。ファシリテーターはそんな理不尽さも承知しておかねばならない。因果な仕事ではある。

地下道に入る入口、この付近でも戦争が起こった
線路の下を通る地下道がやけに寂しく感じる

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