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【感想】HBO Maxオリジナル映画『陪審員2番』

なんだかんだで配信オリジナル映画を取り上げるのは1年ぶりになってしまった。
本来なら「Max映画」か「Maxオリジナル映画」とすべきなのだが、個人的感覚でどうもしっくり来ない。
Maxが固有名詞じゃないからかなぁ…
(プログラマーだと最大値を求める処理でmaxって言葉はよく目にするので尚更)
仕方ないから正確性は犠牲にして「HBO Maxオリジナル映画」としたw
ちなみに日本ではU-NEXT独占配信。

クリント・イーストウッドの最新作にして引退作の噂もある本作だが(ただし自分が確認できた範囲ではまだあくまで噂)劇場公開は無く配信スルーとなっている。
劇場公開を求める署名運動も。

とはいえ北米のワーナー本社もかなり渋い対応だったようなのでどうだろうか…

映画は10月下旬にアメリカのAFI映画祭で初披露。その後、北米とヨーロッパで劇場公開されていた。すでにワーナー・ブラザース・ディスカバリーが展開する「Max」にてMax Original映画としての配信が発表されており、このたび同社と独占パートナーシップ契約を結ぶU-NEXTでも本国と同じ12月20日に配信されることが明らかになった形だ。

https://natalie.mu/eiga/news/601625

さて、自分は鑑賞前はあの名作『十二人の怒れる男』みたいな話なのかな?と勝手に思っていた。

陪審員に扮した出演者たちは、父親殺しの罪に裁判にかけられている少年を巡り、丁々発止のやり取りを繰り広げる。当初は12人中11人が有罪で一致していたが、陪審員8番が「もし、我々が間違えていたら……」と発言したことで陪審員室の空気は一変。彼らの議論は次第に白熱していき……。

https://natalie.mu/stage/news/396184

本作も冒頭で

  • 世論は有罪を求めている

  • 次期検察トップになるためにはこの事件で有罪判決を勝ち取るのがマスト

という描写がそれとなく出てくる。
この辺りのセットアップの手際の良さはさすが御大イーストウッドと言うほかない。

奇しくも日本でタイムリーになっている話題でもある。

フィクションなら『リーガルハイ』シーズン2で描かれた安藤貴和(小雪)の事件なんかも思い浮かぶ。

古美門研介(堺雅人)と醍醐実(松平健)が民意と司法について激論を交わす第9話が白眉

今作もまた民意が求める正義の制裁と推定無罪の間で陪審員2番が苦悩する社会派な作品なのかな?と思っていた。
しかし、この予想は見事に裏切られる。
なるほどこう来たか…!

ここについて、正義・倫理というテーマを描き続けてきたイーストウッドの作家性やアメリカ司法の観点から語ることも可能なのだが(というかむしろそういった視点でこそ語られるべき作品なのは重々承知の上で)そこまでの知識が無い私は「てか、この映画ってまずサスペンスとしてめちゃくちゃ良く出来てるよね?」を出発点に感想を書いてみたいと思う。
もちろん題材が題材だけに「おもしろーい!」で片付けていい作品ではないのだけど。

本作のメインプロットは「陪審員を担当することになった裁判の事件の真犯人が自分だと気付いたら…?」というもの。
映画の序盤、裁判で検事が事件のあらましを説明する形で回想的な映像に入る。
すると、なぜか現場の店に主人公の陪審員2番もいる。
検事の話を聞きながら事件を追体験する演出なのかな?と最初は思う。
ちょうど『初恋の悪魔』や『マーダーズ・イン・ビルディング』のような。

もしくはパク・チャヌクの『別れる決心』

しかし、早々に“真実”が明らかに。
この構成はリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』を思い出した。
「これが真相です」と明確に提示される。

映画の序盤で事件の真相は呆気なく確定

重要なのはこの“真実”が観客にしか開示されていないという点である。
この観客に対する情報の与え方がヒッチコック的サスペンスを彷彿とさせるのは間違いないだろう。
ヒッチコックが幾度となく見せてきたサスペンス演出のど真ん中。

先ほど「イーストウッドについて論評できるほど私は映画に詳しくない」と言った舌の根も乾かぬヒッチコックを語るなどという愚行に及んではマズいw
ここからは識者の言葉を借りていこう。

『攻殻機動隊 S.A.C.』で知られる神山健治監督は著書の中でこう語っている。

ヒッチコック監督の作品の大半も、この「誤解による展開」が観客をハラハラさせたりイライラさせたりすることに一役買っている。『裏窓』においては、終始登場人物のみが誤解をしており、観客は、事実を知っているが故に事の成り行きに一喜一憂させられることになる。
(中略)
こうしてみると、「誤解による展開」によって築かれた「構造」も、観客と、ある特定の登場人物のみが共有しうる秘密の存在により獲得されたことがわかるだろう。

映画は撮ったことがない ディレクターズ・カット版,神山健治,講談社,P.31

『陪審員2番』の構造もまさにこれである。
“真実”を知った観客は「ここから一体どうするの!?」と一気に引き込まれる。
反対に劇中の登場人物は主人公を除いて誰もそれを知らない。
だから主人公の苦悩がドラマを作るし、“真実”を知らない周囲が主人公を脅かす。
ハラハラドキドキが止まらない。
古典的ながら一流のサスペンス。

このようにいざ本作をサスペンスとして分析しようとすると、ヒッチコックが確立した基本をこれでもかと押さえているのに気付く。
映画評論家の双葉十三郎はこう語っている。

『北北西に進路を取れ』(59)は主人公のケイリイ・グラントが、偶然のことから、スパイ一味がさがしている人物とまちがえられ、数々の冒険にまきこまれる。ヒチコックはこのような<まきこまれ型>ないし<まきぞえ型>のシテュエイションが好きである。

ヒッチコック 完全なる殺人“芸術”家,河出書房新社,P.46

本作も主人公が陪審員に選ばれたのは偶然でしかない。

ここから先も書籍を全文引用したいくらいなのだが、さすがに自重して箇条書きに。

  • ねずみ捕り型サスペンス(陪審員の話し合いの場で被告人を無罪にすべく振る舞うも、真犯人探しで自身に捜査の手が及ばないように四苦八苦)

  • カットバックの巧妙な用法(検事と弁護士が喋るシーンを筆頭に編集テンポが抜群に良い)

  • 前提条件の周到な準備(もうすぐ子供が生まれるので自首して有罪判決を受けるわけにはいかない主人公の事情が序盤でしっかり描かれている)

  • かくれんぼ式サスペンス(そのものズバリ車に隠れるシーンがある)

特に本作の法廷劇・会話劇としての編集テンポは素晴らしく惚れ惚れしてしまった。
あのスピードで次々に議論が展開するから「どうしよう。走りながら考えるしかない」という主人公の気持ちを観客も追体験できる。

そして双葉十三郎が述べる「ショック」演出もラストに受け継がれている。
あのラストカットの切れ味…!

強いて言うなら(?)ヒッチコックのユーモアセンスは本作には引き継がれていない。
ただ、それはイーストウッドの真面目な作風や本作のテーマを考えると必然だろう。
ヒッチコックは『救命艇』に対する非難に対し

スリラーであってメッセージではない。

ヒッチコック映画読本,山田宏一,平凡社,P.212

と抗議したそうだが、そこはイーストウッドは異なる作家なのかなと本作を観て改めて感じた。

94歳になったイーストウッドが引退作とも噂される中でヒッチコックばりの映画技法を炸裂させてみせた『陪審員2番』、重たいテーマの作品だけどサスペンス映画としても秀作。
必見です。
これを観ずに2024年ベスト10は決められない。

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