【感想】書籍『M-1はじめました。』
ノンフィクションライターの中村計が第一期M-1に出場した数々の芸人に取材し、それを笑い飯を中心とする史観でまとめた『笑い神 M-1、その純情と狂気』
芸人へのインタビュー取材が中心だが、裏方のスタッフにも取材している箇所がある。
「島田紳助 様」
ますだおかだ、ハリガネロック
ABC
といった章。
ここで取材を受けているのが吉本興業の社員だった谷良一。
そのほぼ1年後(『笑い神』の出版日が2022年11月30日で『M-1はじめました。』の出版日が2023年11月28日)に谷良一が自らM-1立ち上げの舞台裏を書いたのが『M-1はじめました。』
芸能界を引退して以来メディアには一切出てこなかった島田紳助が帯コメント&あとがきを提供している正真正銘の“本物”
(よくいる“自称”関係者とは一線を画している)
これがまぁ面白い!
必読。
もちろん、さすがに一部のエピソードは『笑い神』と被っている。
漫才プロジェクト
読売テレビの楽屋での島田紳助との邂逅
賞金1,000万円をはじめとする紳助のアイデアの数々
1603組エントリーの真相
THE MANZAI 2001ヤングライオン杯
オートバックス住野社長(そもそもなぜ漫才大会のスポンサーに車用品の会社が就いたのか?)
ABC和田省一
以下、自分が本書で初めて知った話で印象に残ったものを。
アマチュアへの門戸
M-1はアマチュアにも参加資格を認めて門戸を開いているが、自分はこの理由がよく分かっていなかった。
確かに2006年の変ホ長調という例外はあるものの、今のところそれが最初で最後だし、正直なところプロの芸人がしのぎを削る今のM-1でアマチュアコンビは優勝はおろか決勝進出する光景もあまり想像できない。
参加コンビ数のかさ増しにしかならないのでは?と思っていた。
これが吉本主催のカラオケ大会に由来したものだったとは。
漫才の復興のためには一般人を巻き込むことが大切だという方針、つまりカラオケと同様に聴くだけではなく自分たちも歌えるようにすることが肝。
なるほどなぁ。
日テレの土屋敏男プロデューサー
フジテレビで放送されたTHE MANZAI 2001ヤングライオン杯が残念ながら内容面でも視聴率面でも惨敗に終わり、当初予定されていたフジテレビが大晦日に紅白の裏で放送(!)という計画は破談に。
ここもPRIDEやRIZINといった格闘技の歴史における分岐的だったと思わずにはいられない。
そこで谷が次に話を持ち込んだのが日テレ。
相手は『電波少年』で一般の視聴者にも広くその名が知られる土屋敏男プロデューサー。
こういう他社との交渉の窓口っていきなり制作畑の人が立つものなんかい?というのも会社員としては面白かったりするのだが、そこで土屋Pが言い放つ。
「どうせ吉本所属の芸人が勝つ出来レース・やらせなんだろ?」という意味かと思い谷は反論するのだが、実はこれが全く違う意味。
この発言の真意はぜひ本書を読んで。
共感や賛同は別として、この言葉に土屋敏男というテレビマンの作家性が詰まっている気がして唸ってしまった。
ちなみにABC朝日放送は『M-1はじめました。』では全国ゴールデン帯での放送を実現させた救世主としての登場に留まっているが、『笑い神』を読むとABCにはABCのドラマがあったと分かってより面白い。
やすとも
第1回大会では出場者集めにも奔走していたというエピソードも。
前年に芸能界を引退した上岡龍太郎に横山ノックとのコンビ再結成を打診していたとか凄い話。
DonDokoDonに直談判してるってのも時代を感じるよなぁ。
他にも直談判したコンビとして名前が挙げられているのが中川家と海原やすよ・ともこ。
ちょうど11/30(木)放送の『やすとものいたって真剣です』の中川家ゲスト回で話されていた。
このエピソードが谷の目線=会社の目線から語られている。
普通この手の話は双方の認識の違いがあるのが常だが、両者の記憶が綺麗に合致していて逆に笑ってしまったw
ここで海原ともこが不満を漏らす中で出てくる某コンビの名前が興味深い。
マヂラブ優勝時の漫才論争を思い出すと…w
そんな海原ともこが2023年大会では遂に審査員に。
これぞ歴史の巡り合わせ。
毎年の大会後に礼二とメールで審査内容について話してると言ってたし文句なしの適任。
ちなみに第1回大会の審査員についてはサラッと書かれたこんな記述も。
また本書とは直接的には関係ないが、ポッドキャスト『有田脳』のこの回も面白かった。
審査基準
審査員といえば谷、すなわち主催者が審査員に審査基準を説明した際の貴重な証言が。
昨年の博多大吉のラジオでの発言と照らし合わせるとこの説明は今も続いているようだ。
さぁ、今年はどんな大会になるだろう?