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あなたが笑えば、現実が笑う。
昨日はかなり忙しく、インドネシアに来て初めて日記を書かなかった。
その代わりある程度ホテルの建築費の見積もりが立った。後は最善の土地を見つけるのみだ。
周辺の別の島では建築費が安いのと、今いる島は観光客が多い分地価も高い為、高くて狭い良いホテルを建てるか、安くてある程度広いありふれたホテルをこの島に建てるかだ。
そして最近多くの新たな土地が出て選択肢が増えた分、そういった事から改めて考え直している。
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↑夢としてはありふれた安いホテルでなく、高くてもこういったヴィラを作りたい。
(参照元 Azulik hotel in Mexico)
私としてはvisaの関係もあり区切りがつき、
今日を含めあと5日ほどで一旦日本に帰る。
私は別の私たちのビジネスとして、日本で両替業をやるということで日本に帰る予定だ。
正直私はインドネシアでは良い土地を見つけたりなどの、目立った活躍ができなかった。
強いていうなら私個人としていえば、こうやって日記を書く習慣を得たことが収穫だった。
何者かになりたいが、何者にもなれないことをこうやって書いている。
目の前のことが中々うまくいっていないまま、
こうやってインドネシアでの日々はそのまま終わりを迎えそうだが、今日も改めて別の周辺の島の海の前の土地を見に行く。
建築の見積もりは兄が大まかに立ててくれた。
あとの最高の土地を見つけるのにはまだ時間がかかりそうだが、どうにか残りの日数でそれを見つけたい。
そして日本に帰ったら同じ病の人に対する情報発信や、コミュニティをもっと具体的な形で作りたいと思う。
その為にやれることを今一度やっていく。
恋人を作ったりしたらいいか?
なんて思った時もあったが、そういった外面的な部分でなく、私自身の内側をより良いものにし、一人でも積み重ねられることによって根本的な所から、私自身の人生を本当に良くしたいと改めて思う。
ところで数ヶ月前からYouTubeをやりたかったが、いまだに試行錯誤中だ。
そしてブログは細々と今もやっているが、内容としてはただの自省の時もあり中には、
「これはブログにあげられないな…」
と躊躇ってしまう日もある。
それは仕方がない。
多分それは私が、自分の中での夢と現実の差を感じているからだと思う。
同時に私にとっての私のブログは、それらの溝を埋める為の社会的な架け橋でもある。
そうー自分自身をダサく感じてしまうのは、
ある意味で自身を世に曝け出して、正面から向き合っている証拠だ。
だからこれは成長痛、必要な恥ずかしさだと思う。
そして YouTube。
今一度パソコンや機材を買って、最低限自分の納得ゆく編集をしてやってみるつもりだ。
せっかく自分の顔を世に晒してやるのだから、どうせならしっかりとそれに取り組みたい。
なぜなら私は自身の大きな夢の一つでもある、
精神病やADHDの人のためのコミュニティを作る。
せめてそういったものをしっかりとして病気でも、真っ当にどんなところでも生きれるんだ!
という姿を世に出すことによって、同じ病の人でも、
「彼でもこうやって海外で旅をしたり、日本以外でも仕事だってできる、だから私もきっと大丈夫。」
などと誰かに思ってもらえて、次の一歩になれれば幸いだ。
正直私は誰かを応援したり勇気を与えられるほど、最近の私の人生がうまくいっているとははっきりって言えない。
過去私としてイケイケだったクラブで働いている時は、忙しすぎてそういった情報を発信できる時間もなかった。
海外で旅をしている時やオーストラリアで働いている時も自分を向上させること、つまり英語の勉強、筋トレ等で精一杯だった。
今私なりに私の人生を顧みると、それらの時の方が色々とこうやってブログを書くことひとつとっても、説得力みたいなものもがあったかもしれない。
そういった意味では今いろいろな新規事業を計画中の段階の、私は不安定で頼りがいもないかもしれない。
だが自分が人に求めている精神病の人のコミュニティーや安心できる場所、病気によりかからず、だからこそ頑張ってる人に向けて何かをするというこういった事は、正直に私自身が社会に欲している部分でもある。
そういえばたしかキリストの言葉で、
「自分が求めるところを人に与えよ」
といった言葉があったと思う。
それは宇宙はその性質として、私たちが出したエネルギーをそのままあなたに何らかの形で返すからだと思う。
別の切り口でこの話を言うなら、
過去お釈迦様は自分の何人かの弟子に托鉢といって鉢を持って、ご飯を人々に恵んでもらう際彼は弟子たちにこう言った。
「まず貧しい人たちから周って、施しを受けなさい」
それは多分私が思うに貧しい人々と言うのは、
基本的に施しを「受ける側」であって「する側」ではない。
だが釈迦は弟子たちに積極的にそういった者たちから先に、施しを受けることによって貧しい人に自身が
「私たちも人々に何かを与えられる…!」
といった勇気のような気持ちと、ひいてはそれがいずれ自分で稼ぐ方法を考えることに繋がったりするかもれない。
そして彼ら自身が
「こんな私でも誰かの役に立てている」
といった尊厳にもつながったはずだ。
与えよ、されば与えられん。
と言うのは、こういったなにかを与える側自身の自信や、次に繋がる側面もあると思う。
だから私も彼らのように、社会一般で言う持たざるものかもしれないが、
こうやって日記を書き、ブログに上げ、YouTubeなどで何らかの情報を発信することによって、社会の一員として何かを社会に少しでも恩返しができればいいと思い、今もこれを書いている。
まだ少ししかやっていないが、世の中にはたくさんの変わり者(今これを見てくれている、心暖かいあなた達)がいて、私のこういった日記ブログのような記事にいいねを押してくれる。
それは私も私にとって励みになるし、嬉しい。
宇宙はそのまま、その人のエネルギーを返す。
現実とは、私たちの感情の鏡であると思う。
だから鏡である現実を笑わせるには、
まずあなたの感情が良いものである必要がある。
そのためには、食生活を見直したり習慣のようなものが役立つ。
ちなみに朝はフルーツを食べることが私のオススメだ。
どこかのアメリカの大学の論文で、フルーツを日常的に摂取している人は、幸福度が高いと言うものがあった。
とにもかくにも自分が心地が良いと思える事柄をや、ワクワクする時間を1日の中でまずあなたなりの方法で増やすことがお勧めだ。
私の場合は読書、コーヒーを飲む。タバコを吸う。
朝、果物を食べる。毎朝ジャーナリングをしたり、ジムに行く、友達と遊ぶ、山に登るなどだ。
それはそれぞれの人に合ってることを無理のない範囲で、あなたを更に良くするためにやってみてくれたら私は嬉しい。
そしてもし今あなたが何かを望んでいるのなら、それをそのまま、あなたの場所で、社会にできる範囲であなたが与えてみて欲しい。
改めて言うようだが、宇宙はあなたのエネルギーをそのままあなたに返すだろう。
なぜなら、私たちの現実は鏡だからだ。
だから先に私たちが良い気持ちで、それに笑いかけよう。