療育実践報告 その2
目標は設定するが時間的制約は外す
半年を過ぎたころに初回アセスメントもほぼ終了し、それに沿ってプログラム全体を通した緩い目標を立てた。
それは「水泳大会に出場する」というものだ。
出場して順位やタイムを競うことが目的ではなく「出場すること」それ自体が目標である。
その前提として、場面理解力、目的的に時系列に沿って進めることの理解(因果律)、偏桃体の情動スイッチが入る前に自己管理する力(情動スイッチが内攻するのが自傷的行為というのが前提となる見立て)、など集団行動参加への「力」が求められ、それこそがAさんが豊かな人生を送るための社会性に通底する力であり、療育本来の目的である。
そしてこの目標を達成するまでの時間は設けない。いつか達成出来ればいい、という緩やかなものだ。目標についてはこの時点では、本人にも保護者にも告げていない。告げることで本人には勿論のこと、療育実践者の僕自身にとって無用なプレッシャー(そしてその圧力は結局のところAさんに向けられることになるのだから)になることを避けるためだ。
強制、無理強いをしない
障碍者支援や療育に関わった人にはなかば常識となっている「ASDの心の理論」だが、これについても僕のプログラムでは否定している。
他者理解や忖度や深読み、あるいは僅かな機微や表情の読み取り、相手の立場に立った先読み行動など、ASDのメンバーは普通に行っている。ただ、それの表出方法が定型発達者とは異なっているので「持ち得ない」とされているに過ぎない、というのが実践からの知見だ。
その経験に基づいて、無言の示威や行間を忖度させて強制する、といったこともレッスンでは行わない。必ず言葉で示し、少しでもAさんが拒否を示したら追い込まない。それを繰り返すことで「このレッスン中は苦手なことは行わなくても良い」ことを理解してもらった。
レッスンは週に一度、1回45分、マンツーマンで行う。最初の1年間は相互理解を深め、上記の無理強いされない実体験の積み上げの年となった。
様子を見ながら泳ぎの技術的な指導も加えたが、基本は無理強いしない進め方への理解促進だ。そうやって3年目初頭までは子供用プールで過ごした。Aさんも欠席することなく毎週参加してくれた。
会場として使うプールは敢えて固定しないで、都内各区の公営プールをランダムに使った。
理由は、環境を常態化させないことで常に感覚刺激(視覚・聴覚・空間認識)を入れることと、会場が変わっても希望すれば子供用プールが場として常に選択できるという普遍性(捨象とルール恒常化)と安心感を得てもらうことだ。3年間で5箇所のプールを使ったが、どこの会場でも希望通り子供用プールでレッスンを行った。
Aさんは2年目中期ごろから大人用プールへの誘導に対して、それまでのような強い拒否は示さなくなっていったが、依然として足は向かなかった。ASDは表情変化が乏しく心理が読みにくいが、Aさんも例外ではなかった。しかし、2年目あたりから自己刺激行為(自傷的な刺激)は明らかに減少していった。
泳法指導の意味
3年目からレッスンメニューにスイム(泳法の技術指導)を意識して加えた。
これには理由があった。
Aさんは本プログラムに参加した当初からスイムの基本的動作イメージを持っていた。それは学童時代に通った水泳教室で習得したものか、あるいはその後のプール経験(ヘルパーとの移動支援活動)で得た視覚情報などによるものか、いずれにせよ泳法の動作イメージを持っていたが、どれも模倣(なんとなくそれ風)の域を出ないものだった。しかし、Aさんの運動能力の高さや身体感覚などセンスは抜群で、これをレッスンに反映させない理由はなかった。
4泳法の中でも取り分け平泳ぎの動作が得意だったし、Aさんも平泳ぎのドリルを抵抗なく受け入れて毎週意欲的に取り組んでいた。
少しずつフォームが身についてくると、Aさんのアクションに対して水深が浅い子供プールでは動作に制限が出てきた。
平泳ぎはピッチングモーション(上下動)が大きい泳法であり、Aさんがダイナミックに動作すると身体の一部が着底してしまうのだ。着底することで泳ぎの規則正しいリズムが崩れてしまい、それはスイムの心地よさを体感し始めていたAさんにとって、理屈抜きに不快な感覚だったはずだ。身体を通して得られる「快」の感覚は療育指導の基本であり、理屈を越えた快感が更なるモチベーションに繋がるのだ。
Aさんはスイムを通して「快」を得ている。その心地良さをスポイルする要因は、Aさんが選択した浅いプールにあること。その自己矛盾を生じさせることが平泳ぎをメインとした泳法指導を取り入れた大きな理由だった。あらかじめ想定していたことだ。