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躁鬱日記③(予定が詰まっている)
こんばんは。躁鬱チャンです。
今日は仲の良いママ友2人と近所でランチに行ってきた。
長女が幼稚園の頃から仲良くさせてもらっているママ友だ。
私は友達がいなかったので(ガチ)こうして大人になってから仲良くしてくれる友達は本当に貴重だ。
幼少期から斜に構えていたような子どもだったので(今思えば可愛げのない子どもである)人に興味を持たずに生きてきた。
恋愛もそれなりにしてきたが、めっちゃ好き!となったのは夫くらいかもしれない。
でもここ数年で初めて人を知る楽しさみたいなものがわかってきた気がする。
そして週末の予定なのだが明日は別のママ友と子ども達と自宅で遊ぶ予定で、土曜日はそのママ友一家とうちで飲み会の予定だ。なかなか詰まっている。
日曜日は恐らく寝込む事になるだろう。
覚悟の上である。
鬱の時に無理は禁物なのだがそういう時に限ってお誘いが来る事が多い。
ほどほどに頑張ろうと思う。
話は変わるがここ数日あまりにも希死念慮がひどいので、メンクリの予約を10日ほど早めに取った。
死ぬならどんな方法を取ろうかずっと考えているのだが、まず子どもを預けなければならないし、死ぬならやはり事例のあるカフェインでと決めているので…万が一でも見つからないであろう人気のない場所も探さないといけない。
死に場所を見つけるのも大変だなと思う。
鬱が落ち着いたらリサーチにでも行ってみるか。
とまあ、そんな事を一日中ぐるぐると考えている。
子どもがいなければ明日にでも行動を起こしていただろう。
良い意味でも悪い意味でも子どもの存在が自⚪︎のストッパーになってくれている。
あとは心配してくれている母や父、祖母。
いつになったら私は死ねるのか。
いつになったら楽になれるのか。
答えは出ないままだ。
母や父にこの気持ちを伝えたところで泣かれるだろうし、夫に伝えたところで呆れられるだろう。
でも、いざ死ぬとなったらしっかり感謝と謝罪の気持ちを伝えてから逝きたい。
なんだか今日はまとまらないがこの辺にしておく。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ではまた。