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【体験談〜再婚シリーズ〜1】タロット的に見る、シングルマザーになった私の心
数ある記事の中からご訪問いただきましてありがとうございます。
マルソルです。
今回も、前回同様、私の過去の経験をタロットカードの視点で捉えながら、その時の心理傾向を見てみようと思います。
(前回のお話はこちら ↓ )
2人暮らし
離婚後、まだ保育所に通う息子との2人暮らしが始まりました。
運よく通っていた保育所から近い団地に住めることになり、住むところはどうにか落ち着きました。
少しずつ生活リズムを整えていき、環境にも慣れていき、息子と2人の生活にも徐々に慣れていきました。
離婚の話は小さい息子にはまだ早かったので、少しずつ少しずつ時間をかけながら伝えていました。
息子の寂しい気持ちにはできるだけ寄り添うようにして、息子と2人の生活は慣れるととても快適なものになっていきました。
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思いのほか2人暮らしは、女帝のカードのように自由気ままに、好きなように息子と日々の暮らしを作って行けるので、とても楽しくのびのびしていました。
浮気に悩まされていた時とは全く違う、穏やかな環境です。
不安の遠吠え
ただ、「結婚=生きる術」と思っていた私にとって、不安な気持ちは頭を付きまとい、切っても切り離せずにいました。
1人で子どもを育てて行くこと。
金銭的なこと。
将来的なこと。
今こんなに精いっぱいで、この先やって行けるだろうか。
無理だろう…やっぱり私は支えが欲しい。
1人でこの不安に耐えていく自信がない。
怖い。
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1人で子どもを育てていく、という基準が全くないのです。
周りに母子家庭の知り合いはいないし、そういう話をリアルで聞けるツテもない。
どこかで見聞きした話をイメージするくらいしか私にはできず、現実的なことがなにも見えないし答えもない。
月のカードは「不安」を象徴します。
「見えない」「わからない」というものは人を不安にさせます。
月明りしか頼りにならないような暗がりの中で、周りが見えず怯えてる。
まさに私はそんな状況にいました。
そしてそこで、不安に意識を向けてしまうと、それはますます共鳴し膨れ上がります。
回避するには、見えないものよりも、見えているものに意識を向けて、可能性が広がっていることに気づくことですが、当時の私はもちろんそんなことはわからず、不安に不安を重ね続けていました。
その不安を拭うように、縁あって出会い進展したのが2番目の夫でした。
夫2とします。
夫2はとても私と状況が似ている人でした。
妻が浮気をしているのを知っているが、なにも言わずにいる。
子どもは2人いるが、離婚後は自分が子どもを育てたいと思っている。
そう聞いた私は、似た境遇の彼に親近感を持ちました。
人間は弱いもの
" 誰かに頼りたい "
これは口にはしないけれど、お互いが心の中でひた隠しにして持っていた、ずるい気持ちです。
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感じたくない自分の気持ちや、見たくない本音から目を反らして、何も感じないように、本音を訴える自分の心を見ないように無視しながら、別の、優しいものや甘いなにかに吸い付いていって、そこで感じた安らぎを心に上塗りして、気休めの安心感に浸っていました。
悪魔のカードは人間の弱さを象徴します。
それは「人間は弱いもの」だということを教えてくれているのかもしれません。
人は弱いから、逃げたり、隠れたりしながらバランスを取って、少しずつ自分の心の声を聴けるようになるのでしょう。
一般像からこぼれ落ちた存在
では、私はどこから逃げてきたのでしょう?
それは「善い悪い」をつけられていた "教皇" の場所からでした。
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"教皇" のカードは解釈の1つとして、社会を象徴します。
社会という枠の中で大切にされている正しさや常識、集団での秩序や規則です。
大人になったら、家庭を持って、両親と子どもがいて、家族団らんがあって…とそんなイメージが無意識の中に刷り込まれています。
そこからこぼれ落ちた私は、落第生の判子を押されたような気持ちがどこかにあったのかもしれません。
「離婚」したと言えば、子どもが可哀そうと言われ、父親がいない子どもにするくらいなら、私さえ我慢すれば良かったのだろうか…と自分を責めたくなるような空気が私に刺さります。
親子そろっているのが社会の中では当たり前で、ひとり親だとどことなく後ろめたい。
世間の声を拾っても、なにかあれば、ひとり親だから…という声と乾いた視線。
その視線が私自身に向けられることがなくても、少なくとも何かあれば人から私はそう見られるんだろうと思っていました。
社会の中で、一般的な「それができなかった私」は「それが欲しい私」になり、家族を作るため、家庭の中で安心するため、私は、より "誰かに頼りたい" という気持ちが奥深くに定着していったのです。
息子と2人の暮らしがどれだけ幸せなことなのか、その当時の私は、自分の中に漂う不安感から見えなくなっていたのです。
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つづく…