子供ができたら”暗黒森林理論”と名付けたい【小説:三体】
小説版『三体』三部作を読破した。
「三体」「三体Ⅱ 黒暗森林」「三体Ⅲ 死神永世」の三部作で構成されており、総ページ数はなんと1963ページにも及ぶらしい。
元々、作品に対するいい評判はよく耳にはしていたけど、三部作というボリュームを理由に中々食指が動かなかった。Netflix版は途中まで見ていた。プロットはめちゃくちゃ面白いと思ったんだけど、そこまでハマれず途中でリタイアしていた。
話は飛んで、先日フィリピンに旅行に行った。
海外旅行は飛行機での移動時間がどうしても長くなるので、大体本を持っていくことにしている。本は電波がなくても読めるし、飛行機で寝れない質なので、自分にとっては最適な読書空間になる。
移動中のお供となる本を丸善で探していたところ、
本好きの友人が小説版の三体がめちゃくちゃ面白かったと言っていたのを思い出した。彼に勧められた本は大体読んでいる。これまでには、アーサーCクラークの『幼年期の終わり』(ちなみに、三体作中でも『幼年期の終わり』や"モノリス"や"猿が投げた骨と宇宙船"などについて触れられていた)や、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』等を勧められて読んで感銘を受け、読書も悪くないなと思えるようになった。
というわけで、今読まないと一生読まないだろうなと思い、1巻目の「三体」を購入したのがどハマりするきっかけだった。
以下は感想。ネタバレ含みます。
自分のために読後の感想を雑に記録しておく。つまり、「時の外の過去」ってやつだ…(三体かぶれ)。
自分にとってのハードSFのイメージは、『幼年期の終わり』や『2001年宇宙の旅』や『インターステラー』だった。いずれの作品も、人類よりも上位の存在ーそれはオーバーロードだったり、モノリスだったり、5次元世界だったりーが人類を上位に"導いてくれる"とっても親切な宇宙が前提のSFの大傑作たちだ(勿論大好きな作品たちです)。
その親切な宇宙が前提のSFに切り込んでいくかのように、"暗黒森林理論"を提唱した羅輯(ルオ・ジーと読む。大好きなキャラクター!)と、筆者である劉慈欣(りゅうじきん。漢文に出てきそうなカッコいい名前。)には本当にスタンディングオベーションを送りたい。
”フェルミのパラドックス”は、「知的生命体が宇宙にいるのなら、なぜコンタクトを取ってこない?」といった矛盾を指摘するものだが、「宇宙は暗黒の森林で、知的生命体は他者からの攻撃を避けるためにじっと息をひそめている」と美しすぎるアンサーを返したのが”暗黒森林理論”である。
まず生まれない発想。人類が何世代も対三体世界という一つの目的に取り組んだけど、”猜疑連鎖””技術爆発”のキーワードだけでこの結論にたどり着けたのが羅輯だったというのがもっともらしく感じる。(厳密に言うと、これらのヒントを与えるとともに宇宙社会学を研究することを提案した葉文潔もこの結論に辿り着いていた(?)のかも)
この設定を思いついた時の劉慈欣はどんな感覚に陥ったんだろう。作中で湖に落ちて宇宙が暗黒の森林であることを思いついたときの羅輯のように電撃が走ったんだろうか。
個人的には、劉慈欣は宇宙が暗黒の森林なんじゃないかとハッと閃いた訳ではなく”暗黒森林理論”の根っこを元から抱いている人なんじゃないかと思う。つまり、"親切な宇宙"にそもそも疑問を抱いていたんじゃないかという説。
「お前らみんな、地球外知的生命体は人類にめちゃくちゃ優しくしてくれると思い込んでるけど、なんでそう思うの?だってお前らってこんなに醜くて、自分だけが生きることで精一杯じゃん。お前は他人に優しくできるの?」
これは物語全体通しても一貫して感じられたことだけど、劉慈欣は人類に期待をしていない。人間模様については、結構冷たい視点で描かれていると思う。
中国の文化大革命の渦中で父を世間に殺され、信じていた人間に裏切られた葉文潔。葉文潔が三体文明にメッセージを返信したことが全ての発端であるが、葉文潔は歴史の被害者であり、元凶は人類であるとも言える。
迫り来る三体文明による侵略に向けて、人類は一致団結するのかと思いきや、三体文明到着までの敵として立ちはだかるのは人類だった。三体協会が三体文明に嘘という概念を学ばせてしまった。羅輯を除いた3人の面壁者に相対する破壁人はいずれも人間だった。
三体文明によって人類が直接的に攻撃を受けたことは、作中通しても水滴による終末戦争くらいしかない。思い返すと、殆どが人類間での小競り合いによる争いばかりだった。本当の意味で三体世界と直接対決をしたのは、羅輯だけではないだろうか。
そんな人類は最終的には2次元へと閉じ込められ、宇宙から淘汰される。結果論ではあるがそれは程心が招いた結果であり、程心を選択した人類の末路とも言える。
トマス・ウェイドは合理性の化身であったといえるが、程心は人間らしさの化身である。人間らしくあることが、破滅に導いた。
章北海や羅輯への世間の手のひら返しや、水滴が迫ってフリーセックス会場と化した街や(これはありそうで笑った)、光粒から逃げようとするシャトルが周りの人間を黒焦げにする場面や、光速に移行するために加速している星環に周りのシャトルが道連れにしようと体当たりを試みる場面など、極限の場面での人間を醜く描写しているところがしばしば見られた。
大衆だけならまだしも、羅輯・程心が荘顔・雲天明と離れ離れにさせられる(しかも、羅輯は抑止紀元元日の1日のみでその後数十年も壁と向き合う生活、程心は会う直前に…)のは、本当に鬼。
絶対にそんじょそこらのエンタメ作品のような大団円にはさせないぞという劉慈欣の強い意志を感じる。それが現実の儚さというかあっけなさを感じさせて、物理学的要素をよりリアルに受け止めることができた。この劉慈欣の人間への冷たさが、全く予想できず目を離せない物語を産んだ助けになったのは間違いないと思う。こんなに展開が読めない作品は初めてでとても楽しかった。
量子もつれを利用した監視通信システム"智子"や、その監視を掻い潜るために人類が考案した"面壁者"、強い相互作用で作られた完璧な流線美をもつ"水滴"などなど、発想が洗練されていて斬新で久しぶりに作品でワクワクした。
これ、Ⅲ巻どうやって実写化するんだろうな。