登野城祭事日記:八月願い
「登野城祭事日記」は、石垣島・登野城村の祭事係に新米として参加させていただいている佐藤(月刊まーる二代目代目編集長)の、日記兼備忘録です。
今回のトピック
八月願い
場所
天川御嶽
日時
2024年9月4日(水):19:00~
2024年9月5日(木):10:00~
出席者
氏子(新城家)/ 字会長 / 字副会長 / 祭事顧問 / 祭事係 / 地謡
持ち物・服装
コーハナ
「八月は祝月(ヨイツキ)」「八月願いはお嶽では豊作願い初め」ということで、なぜ旧暦8月に豊作願いをするのか、少し調べてみた。
8月の祝いを行う習慣は日本各地にもたくさんあり、「八朔(はっさく)」と呼ばれることが多いらしい。(八朔は八月朔日の意味。朔日は1日の意味。)
稲穂の実り始めの時期かつ、台風や虫・鳥といった苦難に遭いやすい時期が8月1日であるため、この時期に願いが行われる、というのは、なるほど納得できるお話である。
であれば、「八月は祝月(ヨイツキ)」の祝いは、「予祝」の祝いということになるだろうか。
今回も、願いにはじまり、ゆんたく、歌三線、踊りに満ちた夜籠り(ゆんぐむり)が始まる。
夜籠りが行われるのは、年に3回。
旧暦1月の正月初願い、6月の世の首尾、そして今回の八月願いである。
「夜籠り」の名の通り、かつては夜通し行われたが、現在は夜願い(ゆーにんがい)と翌朝の朝願い(あさにんがい)に分けて行われる。
この記事では、この現代の夜籠りの時間を司る「ピーマツコウ」について書いてみたい。
ピーマツコウとは、拝殿の香炉に立てられる、長い線香のことだ。
(手元に近影写真が無いか探してみたが、見つけられず。香炉にカメラを近づけて写真を撮ることが、なんとなく憚られる自分の感覚ゆえだと思われる。次回機会があれば、追って写真を掲載したい。)
「ピーマツコウ」という名前は「火 待つ 香」であると教えていただいた。
お盆の期間中にはお家の香炉にピーマツコウの灯が途絶えないよう、番をされるのだとか。
このピーマツコウが3本燃え尽きるまでの間、夜籠りは行われる。
「50分」や「2時間」でなく、いわば「3ピーマツ」である。
ところで、マレーシアやインドネシアで使われるマレー語には「PSANZAPURA(ピサンザプラ)」という言葉があるらしい。この言葉は「バナナを食べるのにかかる時間」を意味する。
「これは人によって、またバナナによってもちがいます。」とのこと。
初めて聞いたとき、なんじゃそりゃ、と思ったことを覚えている。
※『翻訳できない世界のことば』エラ・フランシス・サンダース より一部引用
ふだん当たり前に使っている時間感覚で見れば、PSANZAPURAは、なんじゃそりゃ、なのであるが、そもそも、自分たちが当たり前に使っている時間、たとえば、「1日」だって、「地球が一回転するのにかかる時間」なのだ。
しかし、この「1日」は、5万8千年経っても1秒くらいしかズレないらしい。
その「1日」を「時」に分けて、「分」に分けて、「秒」に分けて、「秒」は「セシウム原子から放射されるマイクロ波の周波数*9,192,631,770」という形でも定義される。
そして、この「1秒」は、7000万年に1秒しかずれないらしい。
いわば、人間から見てとてつもなく大きい「天体」と、人間から見てとてつもなく小さい「原子」の2つを基準に、挟み撃ちする形で定義された、「ズレない」時間を、普段の自分たちは生きている。
この、「ズレない」時間とは、いつでも、どこでも、等しく流れる時間である。今日はちょっと長い、とか、ここではちょっと短い、なんてことは起こらないし、起こってもらっては(多くの場合、)困る。
それに対して、PSANZAPURAや、ピーマツコウが3本燃え尽きるまでの時間は、「伸び縮みする時間」である。
ピーマツコウについて言えば、その日の湿度や気温、風の強さや香炉の位置の違い、ピーマツコウ自体の乾き具合や周囲の人口密度、もしかしたら泡盛を飲んで踊る大先輩の呼気に含まれるアルコール量なんかによっても、その燃えるスピードは変わるだろう。
神様が自然や風土、自分たちの心の中におられるものであるならば、そのご機嫌や思し召しが、ピーマツコウを激しく燃やしたり、ながーい夜籠りを促したりすることもあるかもしれない。
こうして伸び縮みするピーマツコウの時間は「人間サイズの時間」であり、「今、ここだけの時間」であり、「神様と共有する時間」とも言えやしないだろうか。
この「ピーマツコウの時間」が、なんともおおらかで、それでいて願いの場に大変似つかわしく感じられて、筆者は大好きなのだ。
大先輩方のゆんたくに聞き耳を立てつつそんなことを考えていたら、すでに3本目のピーマツコウは短く、大先輩方は陽気に踊り、今年最後の夜籠りも最終盤。
どうやら、神様の心も温まる宴の時間を過ごせているようだ。(早く帰れ!と厄介払いをされているわけではないと信じたい。)
次回の夜籠りは正月初願いで、旧暦1月9日。
30年余りを新暦のカレンダーのみで過ごしてきた自分にとっては旧暦というのも立派な「ズレる時間」であり、なかなかピンとこないこともしばしばである。
それでも旧暦をベースに行われる祭事に参加するごとに、昔から続く「島のリズム」のようなものが心と体に刻まれる、心地よい感覚がある。
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この記事を書いた人
佐藤仁
登野城村(超新米)祭事係。
大阪からの移住者
『月刊まーる』2代目編集長。
本業は、グラフィックやサービスのデザインなど。
自分の事務所に併設の私設図書館「みちくさ文庫」運営中。