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私はロボットなのか

ある日、私は机の上に置いてあった父の手帳をみてしまった。
みられたくないことが書いてあるものや隠しているものってなぜかその人にアピールをする。
いつもはみないのに、その日はなぜか引き寄せられるように。
そしてたまたまめくったページに

仕事に手がつかない
  娘の件

と書かれていた。

私が摂食障害になって、お荷物なのか?
なぜ『件』と1つの出来事のように表現されるのか?
それを理由に上手くいかないなどの理由が出てくるのか?

私は怒りが出てきたと同時に家族という存在でさえ怖くなった。
それからは私がいない時は、どうせこのお荷物の話をしているんだろうとか、どんな目で見られているのかとか、私はロボットなのかとか、
色々考えるようになった。

もし、私が拒食じゃなかったら?
私のせいにはできないはず。
何もわかっていない父は体重さえ戻れば摂食は治ったと思うはず。
ならば。ということで過食した。

父に反感を持つ私に、「なんでそんなに嫌いなん?」と言ってくる人もいる。
何も全てを知らないのに、私はその言葉が父のことを守っているように聞こえて、
また私以外の家族で団結しているのか
寄り添っているフリして、裏では違うのか?
本当に信じていいのか?
そう思ってしまい、一緒に寝ることさえ怖くなってまたあの入院の縛られていた状況が思い出され寝れなくなった。

摂食障害という病気は、どうしてそんなに人に迷惑をかける病気なのか
なぜ、その病気に私はなってしまったのか

でもおじいちゃんが私に言ってくれた
「摂食障害になったのは、今まで頑張ってきたから休みなさいってことだよ。だから何も気にせんでええ」
その言葉で私は、摂食障害という自分を少し認めることができたのに。
『件』なんかの一言でまとめられ、私の個性が潰された。
やはり私はロボットのように見られているのか。
『使えない、不良品のロボットのように』

摂食障害の子を持つ家は、その子のことをお荷物に思っているのだろうか
使えないロボットがいるせいで気が散り、自分のことも集中できなくなる?
がんなどの病気だと、何もできなくて当たり前なのに、摂食障害だと家にずっといることも気に留められる


私は生きていく以上、まだまだたくさんの敵と戦わなければならない。
この摂食障害という病気を、食に強いこだわりがある個性と認め、
自分を強く持ち、生き続けなければならない。
負けず嫌いの私は、生きるのであれば必ず勝ってみせる。

摂食障害の人の気持ちなんてわからない。

そう思って穴に突き落とされ、もがき苦しんでいる人に
会ったことがなくても、喋ったことがなくても、
私の言葉がその人の心のよりどころとなり、真っ暗な穴に光を届けることが
多くの敵を倒すことに繋がっていくのだと
私は信じている。

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まなか
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