何かを得るには
「何かを得るには、何かを捨てなければならない」
どこかでそんな言葉を聞いたことはありませんか?
私もずっとそうやって思っていて、
陸上で上にいくには、友達との遊びも、大好きなスイーツも、カフェラテも、ゲームも、何もかも捨てなければならないと言い聞かしていました
でも、最近気づいたんです
“捨てる“のではなく、その場に“置く“のです
皆さんは、『どうぶつの森』というゲームを知っていますか?
アイテムをポケットにしまえる数が決まっています。
だから魚釣りをしていても、ポケットがいっぱいならその魚を逃すか、今持っているアイテムの何かを置いてその場所にしまうかどちらかを選びます。
釣った魚はお店に持って行けば買い取ってくれます。
持てる数は決まっており、一度でたくさん持っていきたかったので今は必要のない道具などをポケットから出して魚でいっぱいにしてお店と川を往復していました。
でも、帰ってきたら、ちゃんと道具は残ってるし、また持つことができるんです
これって、人間と同じなんじゃないかな
人も、何かを得たい!と思っても、同時に全部を得ることはできないのです。
例えば、絵も上手くなりたい!泳げるようになりたい!早く走れるようになりたい!と思っても、一度に全部できるようになるのは難しいです。
だから、何か一つ選んで他のものは捨てなければならない。
いいえ、違います。
順番にやればいいんです。
自分の中で、何からできるようになりたいか、順番をつけてやればいいんです。
まずは水泳なら、水泳から始めればいい。
それが5年、10年かかったとしても、絵を上手くなることも、早く走れるようになることも捨てなくてもそこからやれば叶えられるのです。
パンも食べたいし、お寿司も食べたいし、焼肉も食べたいし…
でも、同時には食べられません。
だから、何が今1番食べたいのか自分の中で順位をつけ、それを1日ずつ食べていきます。
そうしたら、一度に食べてしまったという罪悪感もなければ、1日で叶えられなくても他の選択肢も全部食べることができます。
家を買いたかったら、お金が一気になくなる。
でも、それは失ったのではなく、ただ一時的に減っただけなのです。
そこから何か働けば、お金はまた貯まっていきます。
一時的に減っても、それ以上の新しい家に住めるというワクワクや喜びも得ることができます。
そして、何十年と経った頃には、買ったとき以上のお金があって、その上満足感もあります。
どうぶつの森と同じで、その時は魚を売ってお金を得たいという思いから、大切な道具を地面に置いたとしても、最後にまた取りに行けば元どうり、いや置いた時以上のお金も持っています。
人間も、何かをしたいから何かを犠牲にするのではなくて、その時はそこに置いといたらいいんです。
ご飯を食べるからと、ゲームを置いといてなくなってしまったことはありますか?
その時続けていたら、もっとクリアできていたのに!
というのは、その時の感情なだけであって、数時間もすれば結局は追いついてるんですよ。
一度になんでもできたらいいのに!!
無限に持てるポケットがあったらいいのに!!
そう思います。でも、それができないんですよね。
だって、魚を売りにいくのに何回か往復してるうちに、珍しい虫を見つけたり。
水泳にチャレンジしてる時に、絵は興味がなくなったり。
心も成長と共に変わっていくんです。
なんでもできちゃっても、いらないものが結局は出てくるから、神様はちゃんと自分に必要なものだけを拾っていけるように、余計なものを持たないように、自分に持てる数が決められたポケットを作ったのだと思います。