しんどいは成長痛
最近は目の前をタスクをただひたすらこなすような日々で、今日はわたしの地域よりもひと足早い地域の成人式や同窓会の写真を見て、心が疲弊してしまった。大人数は苦手だし、人と話すことも得意ではないけれど、最近は素敵だなと思う人のいいところを言語化してみるように意識している。ちょっと前までは自分の現状から何かを変えることを拒んで、人のいいところなんて見つけようともしなかったから、その頃のわたしと比べれば自分の人生どうにかしようと頑張れている気がする。3,4人での会話なら、と思い、今月は少人数での飲みの予定もいつもより沢山入れた。ひとりで楽しめるような趣味も興味も増えてきたし、人との関わりも自分から作ろうとしているし、ぬるま湯の中で生きていてはできないことに挑戦できている。だからこそ、錘(おもり)を持ち上げるのに必死で、成長出来ているのか出来ていないのかわからないまま、なかなか前に進むことの出来ない泥沼の中で必死に足掻いているような、そんな心持ちでいる。
大人数の中に自分が居るとき、居心地がいいと思えることは滅多にないけれど、その場に行くことを自分の手で放棄して家に籠っていることもまた苦しくて、自分が憧れとするものと自分の現実とが一致していなくて、どちらを選べばいいのかいつも困ってしまう。ひとりで過ごせる時間も、仲の良い人たちを誘って少人数で過ごせる時間も、どちらも尊いものであるはずなのに、大人数で居ることに価値を感じてしまうのはきっと、自分で楽しいことやわくわくすることを生み出せる自信がないからなのだと思う。この泥沼から少しでも抜け出せたら、前よりはもっと、ひとりで居ることを楽しめるわたしになって、誰かと居るときももっと楽しめるわたしになれているんじゃないかなあ、と期待しているので是非ともこの錘を持ち上げ続けたい。
とは言っても、タスクをこなすだけでは心が死んでしまうような気がしているのも事実で、気が付くと涙が出てきそうになったり、心に余裕がなくて少しの無駄も許せなくなってしまったり、今日は特にそんな日だった。眠りにつこうとしている間に涙が出そうになっている自分に気が付いて、取り留めもなくこのnoteを書いている。明日、成人式だから早起きなのに〜。
でもなんだか文章を書いている間に、少し楽になった。立ち止まっている自分を客観視して、わたしまだまだ成長出来るぞー、って、頑張ってるから辛いんだよー、って、そう思えたから、とりあえず今日は眠りにつけそう。
わたしが文章書くときって大体、心が沈んだときだからなんだかもう本当にこんな文章ばっかり出来上がってしまうんだけれど、それもわたしの個性ってことで、そうゆうわたしをわたしは好きだよ。
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