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もしも地球最後の日は、

もしも明日地球が終わるなら、と考えるとワクワクしてくるのは、今日という日が特別になったような気がするから。やりたいことを好きなだけやることを無条件に許せるから。

もしも明日という日がこないなら、今悩んでいることをなんの躊躇いもなく忘れ去ることができそう。わたしたちが悩むのは、悩むことで自分を守っているからだ。明日からの日々に対して無防備にならないように、予防線を張るための手段。

「終わりがあるから輝くんじゃん」、とわたしの大好きな子が言っていた。昨日言っていた。その時のわたしはピンときていなかったのに、もしも明日地球が終わるなら、と考えてワクワクしているわたしこそ終わりを必要としているみたいだ。

地球最後の日は、わたしは誰かの特別になることができる。誰かって誰かわからないけれど、今日で地球が終わるなら、終わってしまう地球に住むわたしたちもみんな終わってしまうわけで、終わってしまうものの中で何一つ特別でないものなんて存在しないから。だからみんな、誰かの特別。
地球最後の日、わたしたちは本当の意味で平等になれる気がして、どんなに深刻な悩みも軽い悩みも今日で終わってしまうなら、終わってしまうものでしかないんだよ。大好きな人もものも、終わってしまえばみんなおんなじ、嬉しいな、もうわたしの存在価値を必死に見出そうとしなくて良くなるのだから。

p.s.
これは、わたしがわたしの存在価値に絶望して、誰かの何者かになりたいともがいていたとき、わたしの大好きな子や、にしなのインタビュー記事から得た言葉に救われて書いたもの。

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