【ネタバレあり】なぜ漫画を描くのか。その答えは小さい頃から変わっていないんじゃないかなあと思った『ルックバック』
【個人的な満足度】
2024年日本公開映画で面白かった順位:53/80
ストーリー:★★★★☆
キャラクター:★★★★☆
映像:★★★★☆
音楽:★★★☆☆
映画館で観たい:★★★★☆
【作品情報】
原題:-
製作年:2024年
製作国:日本
配給:エイベックス・ピクチャーズ
上映時間:58分
ジャンル:アニメ、ヒューマンドラマ
元ネタなど:漫画『ルックバック』(2021)
公式サイト:https://lookback-anime.com/
【あらすじ】
※公式サイトより引用。
学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。
しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。
しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。
【感想】
『チェンソーマン』(2019-)の藤本タツキ先生による原作漫画を劇場用アニメ化したものが本作です。創作における苦悩や葛藤を描いた作品で、この映画を鑑賞するに当たって原作漫画も読みましたが、1巻で完結するので映画版もはしょるどころかプラス要素があって面白かったです。
<世間の評価はびっくりするぐらい高いが……>
この作品、とにかくレビューサイトでの評価が高すぎるんですよ。Filmarksも映画.comも2024年7月8日23時30分時点で優に4.0を超えています。そもそも漫画が出たときもSNSで絶賛の嵐だったんですよね。特に漫画家の方からの高評価が目立ちました。そんなこともあり、自分の中でハードルが上がってしまったのか、漫画も映画も確かに面白くはあったんですけど「そんな絶賛するほどだろうか」というのが個人的な正直な感想ですかね。まあ、これはあらゆる作品に言えることですが、その人の好みや今自分が置かれている状況によって受け取り方は様々ですからね。いろいろネットを漁ってみると、僕と同じような温度感の人もチラホラ(笑)
おそらく、創作活動をガチでやっている人にしかわからない世界ってのがあって、そこにガチハマりしたんじゃないでしょうか。それこそ、プロデュースや編集だけでなく、直接自分で作ってる人の方がより刺さりやすそうです。人間誰しも何かを作ることはあると思いますが、それを一定以上の負荷をかけて継続して行なっている人に共感されやすいかもしれません。そういう意味ではアスリートや音楽家にも通ずるものがあるんじゃないかなと。だから、物語として見るとオーソドックスなところはあるんですけど、それが刺さる人がクリエイターとかに多くて、そういう人たちが絶賛してまわりに波及していってる感じですかね、、、わかりませんけど(笑)
<前半は共感できる人が多そう>
個人的には、前半部分は共感できました。いや、後半がまったくわからないってわけではなく、単純に前半の方が身近というか、自分の人生においても近しいことはあったかなっていう意味ですよ。冒頭における藤野がまさにそうで、自分がほぼトップであると思っていた分野で、突如として自分よりも明らかに実力が上の人が現れて、悔しさと不安と焦りが出てくるっていうところですね。あ、僕は別に創作を生業としているわけではないですが(しようとしたけどダメでしたw)、この手の“井の中の蛙”ってのは勉強でもスポーツでも同じようなことはあるから、ここは共感できる人も多いのではないでしょうか。で、自分の存在を脅かす相手ってのが、ずっと不登校だった京本。こんなどこの馬の骨ともわからないやつに負けを認めるような形になるのはプライド傷つきますよね。
<結果は鍛錬によってしか生まれない>
藤野が偉いのは、そこであきらめることなく抗うところですよ。今まで独学でやってきた絵を、初めて参考書を読みながら自分の実力アップを図っていったんですから。2年近く経って自分が描き溜めたスケッチブックも20冊ぐらいはあったでしょうか。でも、藤野が卒業証書を届けに京本の家に行ったとき、愕然としました。京本の部屋の前の廊下には、藤野とは比べ物にならないほどのスケッチブックが積み重ねられていたんですから。ざっと見て藤野の10倍以上はあったのでは。京本は学校に行ってない分、描く時間はたくさんあったわけですが、結果としてあの画力は圧倒的な練習量に裏打ちされてるってのをまざまざと見せつけられましたよね。
<終盤の事件が一番のポイント>
その後は2人で漫画を描いていって高校卒業を機に連載が決まるんですが、京野は背景画を極めたいと美大への進学を希望したため、2人での活動はそこで終わりました。で、連載は藤野がひとりで進めるんですが、ある日悲劇が起きてしまいます。以下、ネタバレになるのでまだ知りたくない方はここでページをそっ閉じしてください。
自分の絵をパクられたと逆上した男が京本の学校に侵入してきて、たまたま居合わせた京本は彼に殺されてしまいます。。。そのことがショックで藤野は自分を責めます。「あの日、引きこもりだった京本を外に引っ張り出さなければ」って。京本が引きこもりのままだったら、外に出なかったら、こんなことにはならなかったかもって。僕の中ではここは藤野の考えすぎだと思いますけどね。だって、京本が外に出て事件が起きるまで6年ぐらいは経っているわけですし、さすがに藤野の行動が影響を与えるほどの結びつきはないだろうって。これが、外に引っ張り出して1ヶ月以内とかならまだしも。
同時に、藤野はある妄想をします。完全にifの話ですが、藤野は京本が生きている世界を考えるんです。これ、フィクションには現実の辛さを和らげる力があるっていうことを藤野はわかってたんですよね。フィクションにはある種の救いや癒しの役割があると思ってたんですよ。とはいえ、今までずっとフィクションを作り続けてきた身でありながら、親友の京本を救えなかったとも思っているので、フィクションの持つ力や意味ってのが藤野の中で一気に揺らいでしまったのではないかとも思います。
<なぜ漫画を描くのか>
そんなこともあってしばらく筆を置いていた藤野ですが、彼女は再び筆を持つ決意をしました。その理由は、他ならぬ京本のためだったと僕は思います。進む道が違っても、京本はずっと藤野のことを応援していたことが彼女の部屋を見れば一目瞭然でしたし、何よりもここで筆を止めたら京本が悲しむだろうって藤野は気づいたんじゃないですかね。そんなこと京本は望んでないって。だって、彼女は藤野の一番のファンだったんですから。だから、たとえ亡くなったとしてもファンである京本のために描き続けようっていう結論に至ったのかなと。ファンってことはつまり、読者のためってことでもあるわけです。
かつて藤野が小学生の頃に四コマ漫画を描いていたのも、まわりからチヤホヤされたいってのもあったかもしれませんが、やっぱりクラスのみんなが面白がってくれるからってのもあったんじゃないですかね。結局、人が喜ぶ姿を見たいっていうのが大きかったと言いますか。だからこそ、この映画は同じように人の喜ぶ姿を見たくて辛くても創作活動をしている人たちから絶大な支持を受けるのではないかと。こんなの僕の勝手な妄想でしかないですが。
<そんなわけで>
漫画に対してひたむきだった2人の少女の生き様と、何のために漫画を描くのかというのを考えさせられる興味深い映画でした。切磋琢磨できる仲間が身近にいるっていいですよね。
ちなみに、今回の映画化にあたり、四コマ漫画が劇中劇として声と動きがついたんですが、その声優がまさかの森川智之と坂本真綾っていう。セフィロスとエアリスかいって(笑)