Marlene

音楽家 ピアニスト 🇯🇵⇄🇮🇹 2018年よりイタリア・ヴェネト州在住。 日頃ふと考えること、ふと思い浮かんだことをつらつらと言葉にしてみる✴︎ 音楽のことも、音楽以外のことも、イタリアならではの小さなエピソードも… 気まぐれに更新します🌻🌿

Marlene

音楽家 ピアニスト 🇯🇵⇄🇮🇹 2018年よりイタリア・ヴェネト州在住。 日頃ふと考えること、ふと思い浮かんだことをつらつらと言葉にしてみる✴︎ 音楽のことも、音楽以外のことも、イタリアならではの小さなエピソードも… 気まぐれに更新します🌻🌿

最近の記事

No. 8 "思考の言語化"

最近、自分の中にある思考を、一切の曖昧さなく明確に言語化することの難しさを改めて感じている。この1年でイタリア語でのインタビューを受ける機会が何度かあった。その度に、日頃日本語で考えていることをイタリア語に置き換える際に、さまざまな障壁が生じることに気がついた。一つは、もちろん自身のイタリア語能力の未熟さにある。が、それ以外にも大きな要因がありそうだ。 日本語は、ある程度曖昧な抽象的な表現が通用すると感じている。これは、行間を読む、ということに通じるものかもしれない。対して

    • No. 7 あるイタリア人家族の"おもてなし"🇮🇹

      数日前に投稿した、No. 4の続きのエピソードだ。 2018年秋に渡伊して以降、3年半待ち望んだ良い練習環境が、ようやく整った。運良く、街のとあるお店に未使用のスペースがあり、そこにピアノを置いて練習をさせてもらえることになったのだ。 新たな環境でスタートをきってから10日経った頃、1人の男性が帰り支度をしているところに入ってきた。上の階に住んでいる、小さな赤ちゃんのいるご家族の主だった。"はじめは1,2日のことだと思っていたけれど、毎日四六時中ピアノの音が聴こえる。しば

      • No. 6 "きっとうまくいく!"🇮🇹

        明日の夜は遠い未来、と捉えるのがイタリアだ。 その根底には、Andrà tutto bene!!(きっとうまくいく)というポジティブな精神性がある気がする。 そう思うと、ああ、今という時間がたくさん積み重なった先に明日があるんだなあ、と、今という瞬間を大切にしよう、と思える。 例えば、締め切りが近づいてそわそわいてもたってもいられないことがあるとしても、私の周りにいる多くのイタリア人はどんと構えて心配しない。だから、私、て、もしかして生き急いでいるのかな、と、目先のことに捉

        • No. 5 一人の"人間"としての存在

          私の本業は、音楽家、ピアニストだ。 音楽の世界には、共に演奏したり、刺激を与えあったり、切磋琢磨する仲間がいる。 だけれど、私には音楽の外の世界に大切な仲間がたくさんいる。18歳で、本格的にプロフェッショナルの音楽の道に方向転換するまでの自分と、強く深く関わりを持った、高校や中学の友人たちだ。彼らとは、自分という木があるとして、土に生やされた根が多方向にぐんぐん成長する年齢の時に出会い、切磋琢磨してきた仲である。今でも変わらずに親交があるが、彼らといる時の自分は生き生きとし、

          No. 4 "人の輪"🇮🇹

          イタリアに渡って3年半が経った。 私の通う国立音楽院は部屋数が多くなく、上質なグランドピアノが置かれた部屋はとても少ない。加えて、平日は実技のレッスンや学科の授業で朝早くから部屋が使用されるため、練習できる場所はかなり限られている。コロナ渦、予約制で練習をしていた半年前までは良かったが、規制が緩和され練習室の予約制度が再び撤廃されたことで、確実に練習できる可能性が失われた。まさに、練習難民だ。 そんな時、いろんな人が手を差し伸べてくれ、練習環境の改善に協力してくれた。私がお

          No. 4 "人の輪"🇮🇹

          No. 3 "今"を生きる

          私には、大切な友人がたくさんいる。 そのうちの1人について、書いてみる。 先日、もう10年近く完全に音信不通だった友人と、あれよあれよとタイミングが重なり感動の再会を果たした。最後に話をしたのがまるで昨日のことのように感じられるほど、確かに成長したお互いが、一瞬にして昔にタイムスリップしたような感覚があった。 友人は、波瀾万丈な人生を送っていた。あらゆる人生経験を積み、あらゆる苦難や葛藤を経て、文字通り茨の道を必死で歩んできていたようだった。そうした時間を積んできた友人は

          No. 3 "今"を生きる

          No. 2 世界共通の言語 "音楽"

          音楽は、奥深い。 自分は作曲をするわけでもない。 現時点では、一部の作曲家の一部の曲たちを勉強し、演奏しているに過ぎない。 そういう意味で、音楽というものを前にして自分は無力である。 偉人たちの残していった曲を、楽譜というたった一つの手がかり、暗号のような音の連なりをもとに多角的に研究し、その上で自分なりの解釈を一音一音に注ぎ込み、平面だった音符たちを立体に起こし息を吹き込み、目に見えない時間芸術に蘇えらせていく作業の連続、それが音楽の勉強の工程だと思っている。 たとえ、表

          No. 2 世界共通の言語 "音楽"

          No. 1 "生きるということは徐々に生まれることである。" サンテグジュペリ

          日常を生きる中で、たまに思い出すこの名言。 これは、私の高校入試時の小論文の課題だ。 私の中学生時代はもう15年程前のことだが、当時は哲学の授業が必修で、純粋な興味を持って学んでいたことを覚えている。その中でも、哲学の教科書に掲載されていた日野原重明さんの”壺を満たす”というようなテーマに沿った文章が、いまだに忘れられずに強く心に残っている。(残念ながら、正確なタイトルを覚えていない。) 15歳になりたての私は、”生きるということは徐々に生まれること”とは、はじめはまっさら

          No. 1 "生きるということは徐々に生まれることである。" サンテグジュペリ