No. 5 一人の"人間"としての存在
私の本業は、音楽家、ピアニストだ。
音楽の世界には、共に演奏したり、刺激を与えあったり、切磋琢磨する仲間がいる。
だけれど、私には音楽の外の世界に大切な仲間がたくさんいる。18歳で、本格的にプロフェッショナルの音楽の道に方向転換するまでの自分と、強く深く関わりを持った、高校や中学の友人たちだ。彼らとは、自分という木があるとして、土に生やされた根が多方向にぐんぐん成長する年齢の時に出会い、切磋琢磨してきた仲である。今でも変わらずに親交があるが、彼らといる時の自分は生き生きとし、何者でもない自分でいられる。一人の音楽家としてでなく、一人の人間として存在できる。音楽家という職業で括られた、ヴェールをまとったある種仮面のようなものが、自然と外されていくような感覚がある。
私は音楽家である以前に、一人の人間だ。誰しもが本来そうである。
少なくとも人生の三分の一は、音楽のことを考えていない。それは、睡眠という休息時間だ。そして残りの時間のうち、おそらく音楽に向き合っている時間は半分くらいかもしれない。そう考えると、音楽と向き合っている時以外の時間の過ごし方が、自らの人間としての在り方を、音楽家としての在り方を変化させると言っても過言ではない。何を見て、何を聞いて、どんな人と関わって、どんな学びをして、どんな経験をして、どんな失敗をして、何をどんなふうに考えるか…。音楽以外の全てのことが、自分の音楽の在り方をいかようにも変化させ得る。関わる人間や環境のコミュニティに、人は知らず染まっていく。
私はいつも、音楽の外の世界の存在に助けられている。そうやって自分は今まで内面のバランスを保ってきている。音楽以外の側面を大切にすることは、結果として人間としても音楽家としても進化していく自分を創り、その先の新しい自分へと導いてくれる気がする。
幼い頃からプライベートで10年間ついていた、ピアノの先生の言葉を思い出す。先生の元を離れる時、こんなことを言われた。"立派なピアニスト、音楽家である以前に、素敵な人間になってね。"と。あの言葉は私の原点でもある。旅立つ私をそうした言葉で温かく見送ってくださった先生には、今でも感謝している。この言葉をいつまでも大切に胸に刻んで、生きていきたい。常にバランスのとれた人間を目指して。