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No. 2 世界共通の言語 "音楽"

音楽は、奥深い。
自分は作曲をするわけでもない。
現時点では、一部の作曲家の一部の曲たちを勉強し、演奏しているに過ぎない。
そういう意味で、音楽というものを前にして自分は無力である。

偉人たちの残していった曲を、楽譜というたった一つの手がかり、暗号のような音の連なりをもとに多角的に研究し、その上で自分なりの解釈を一音一音に注ぎ込み、平面だった音符たちを立体に起こし息を吹き込み、目に見えない時間芸術に蘇えらせていく作業の連続、それが音楽の勉強の工程だと思っている。
たとえ、表現をする上での技術的手段やトリックを教わったとしても、結局自分の中に存在するものでしか、音は創り出していけない。
音楽の解釈には正解もなく、完成もない。
無限であり、死ぬまで未完成である。それは、探究心と情熱を絶やさず、向き合い続け成長し続けていく限り。

音楽は、言葉を持たない世界共通の言語だ。
演奏者は楽器を媒体として、それを音にして伝える側にいる。音楽それ自体は言葉を持たない音の連なりだからこそ、伝えるためには言葉を自分の中に、抱く世界を自分の中に広く持っていなければならない。
例えば、抽象的なものを抽象的に創り出すには、自分が曖昧模糊とした抽象的な考えを持っていては意味をなさない。
具体的に自分の中で咀嚼し吟味し構築していくことで、そうした抽象的なものが抽象的なものとして存在出来得るのだろう。

どうしても、日頃作品に向き合う時は目先の技術的な課題に意識が向きがちだ。しかし、当然ながら技術は表現するための手段でしかなく、自分が何を感じどう解釈しどう音を紡いでいくか、どういう音楽を創り出していくべきか、そのためにはありとあらゆる角度から研究を重ねていかなければならない。そうした音楽を創っていく工程は、ある意味、建築と似ているかもしれない。

本来芸術とは、感情的で娯楽的なものではなく、理性的で高尚なものだ。それは、ベートーヴェンが意図していたように。
音楽を通して自分という人間は試されているのだと思うと、恐ろしい。
だからこそ、音楽を学ぶことを通して人間として少しずつ成長を重ね、また同時に多岐に亘る勉強を積むことでそれらから得たものたちを自分の創り出す音に活かしていく。
音楽を深く学ぶことは、その外の世界にも通じていくための助けになるだろうと思う。

しかしながら、音楽はごく一部の世界である。
そして、芸術の分野は死活問題ではない。
この世には音楽と無縁に生きている人がごまんといる。音楽を必要としない人、理解しない人、音楽に少しでも触れる瞬間をすら与えられない人も、持てない人もたくさんいる。
それでも、音楽、て無条件に素晴らしいと感じることがある。そして実際に、音楽というものはやはり奥深いのだ。
私は音楽の持つ力を信じている。だから、音楽と縁のない人たちにも、音楽というものにわずかでも触れる機会があれば、と、心を寄せる瞬間を持ってもらえたら、と心から願う。

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