No. 4 "人の輪"🇮🇹
イタリアに渡って3年半が経った。
私の通う国立音楽院は部屋数が多くなく、上質なグランドピアノが置かれた部屋はとても少ない。加えて、平日は実技のレッスンや学科の授業で朝早くから部屋が使用されるため、練習できる場所はかなり限られている。コロナ渦、予約制で練習をしていた半年前までは良かったが、規制が緩和され練習室の予約制度が再び撤廃されたことで、確実に練習できる可能性が失われた。まさに、練習難民だ。
そんな時、いろんな人が手を差し伸べてくれ、練習環境の改善に協力してくれた。私がお世話になっている楽器屋さんも、その一人だ。
一時期、私は楽器屋さんで練習をさせてもらっていた。営業時間であろうと嫌な顔せずグランドピアノで練習をさせてくれていたオーナーさん。練習している私を気遣って、仕事の電話を外で受けたりしてくれていた。
練習をしていると、老若男女、音楽家、音楽関係ない人も、来客の多くが声をかけてくれた。名前を聞いてSNSでメッセージをくれたり、コンサートを聴きに行くと言ってくれたりした人もいた。外で通りがかりに立ち止まって聴いている人も、写真や動画を撮っている人もいた。犬を連れて入ってきて、自己紹介をしてくれる人もいた。中には、幸運をもたらしてくれるから、と、猫のぬいぐるみをプレゼントしてくれたおじさまもいた。そのぬいぐるみは、今大切に家に飾ってある。
とにかく、いろんな人に出会った。
その中でも特に印象に残っているのは、外で聴いていた赤ちゃんを抱いた若いお母さんが、中まで入ってきてしばらく聴いていたあと、"ニコラ(赤ちゃん)は生まれて初めて生のピアノの音を今聴いたのよ。彼、音楽にのって歌っていたわ。"と言ってくれたこと。この星に生まれて初めて聴いた生の音が私の音だなんて…なんと光栄なことだろう、と感激した。と同時に、何か責任の重みを感じた。赤ちゃんは、聴いている間ずっと目が輝いていた。この子は将来音楽家になるかもしれないなあ、なんて感じた。あの目の輝きは忘れられない。
楽器屋さんのお陰で毎日いろんな人と出会えて話ができて、輪が広がってとても嬉しかった。練習を人に聴かれることはもともとあまり得意ではないが、人が聴いていると思うとコンサートで弾いているような心持ちになり、精神力や集中力が自然と鍛えられるような気がした。人は人と人との間に生きているんだなあ、と、音楽は人と人とを繋ぐ力を持っているんだなあ、と感じた。何気なく広がっていく人の輪の温もりに気づかされた、そんな期間だった。