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ケーキを分けられない老人たち

「ケーキの切れない非行少年たち」( 宮口幸治著 )が、Kindle Unlimitedに入っていたので読んでみた。

著者は非行少年に共通する特徴として次の5つを挙げている。

・認知機能の弱さ……見たり聞いたり想像する力が弱い 
・感情統制の弱さ……感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる 
・融通の利かなさ……何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い 
・不適切な自己評価……自分の問題点が分からない。自信があり過ぎる、なさ過ぎる 
・対人スキルの乏しさ……人とのコミュニケーションが苦手 
+1身体的不器用さ……力加減ができない、身体の使い方が不器用

昨今、老人の行動がよく問題になる。
キレやすい老人。
クレーマーになった老人。
暴力をふるう老子。

これまで人生経験を積み、社会にも貢献してきたであろう人たちが、いったんリタイアすると、なぜこんな老人に変身してしまうのか。

サラリーマン生活を続けてきた方なら、現役中はそこそこの役職にもつき、部下もいたことだろう。
現場では、リーダーシップを発揮して、尊敬を集めてもいた人たち。
時には、わざとずっこけて、部下に擦り寄ることもあった人たち。

そんな人たちが、何故いったんリタイアすると、こうも変わってしまうのか。
その疑問が解けたような気がする。

ここに挙げられた5つの特徴は、そのまま、いわゆる、迷惑老人、非行老人に当てはまるのではないだろうか。

認知機能の弱さにおいては、認知症ということもあるが、それ以前に、歳をとると、視力も悪くなり、耳も遠くなる。
その見づらさ、聞こえにくさを自分で補って誤解をしてしまう。
あるいは、それをわかってもらえないことにイライラする。

感情面で問題になるのは怒りだろう。
例えば、自分は目上のつもりでも周りはそうは見ていない。
だから、間違いがあると普通に指摘される。
それが気にいらずにキレてしまう。

融通の利かなさもそうだ。
現役の頃には、様々な場面に対応してきたのに、いったんリタイアすると、物語は終わったと思うのかもしれない。
自分が経験した様々なこと、それが全てだ。
だから、そこにない新しいことに対応できない。
できないから、それは周りが間違っているとなる。

不適切な自己評価においては、時代について行っていないのではないか。
自分たちが子供の頃には、老人はそれだけで一目置かれるべき存在だった。
しかし、いざ自分が老人になった今、老人だからというだけでは、誰もそうは見てくれない。
ただの老いぼれだ。
しかし、本人は、自分は老人なのだから敬われて当然だと思っている。
あの頃の老人と同じように。

対人スキルはどうだろうか。
現役時代には、難しい交渉もこなしてきた。
根回しもそつなくできていた。
職場には笑いが絶えなかった。
しかし、それは全て、会社、仕事という場での、いわばお互いに肩書き、利害関係をもとにしてのコミュニティケーションだった。
しかし、これからは、まったくの丸腰で挑まなくてはならない。

さらに、身体的にも当然衰えてくる。

この5つの特徴に気づかない、受け入れられない老人が、迷惑老人、非行老人となっているのではないか。

本の中でも書かれている。
「子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」
老人の心の扉はどこにあるのだろう。
いずれにしても、まずは本人が気づくことからというのは変わらない。

僕も老人のひとりだが、その僕から見ても、最近胸を張って、張り過ぎて、ぶつかる人を弾き飛ばす勢いの老人が多いような気がする。
姿勢を正しくするのはいい。
しかし、老人は老人らしく、腰を曲げて歩けばいいのだ。
ココロの腰は、歳とともに低くする方がいい。

ケーキを分けようともしない老人。
これまで手にしたものは誰にも渡すものか。
ケーキを分けたくても分け方の分からない老人。
欲しがってもいない人に押し付ける。
そうではなくて、然るべき時に、然るべき方法で、これまで手に入れたケーキをそっと分けられる、そんな老人になりたいと思う。

そんな、本の内容とは全く関係のないことを考えていた。

この本そのものは、少年犯罪について、非常に興味深く、重要なことがかかれている。
タイトルにある、ケーキを等分に切れない少年の下りには驚かされた。
著者は、少年の非行、犯罪の原因を知的障害に求め、特にボーダーラインギリギリの、一見普通の子、せいぜい少しできの悪い子として見過ごされそうな少年に対する支援の必要性を説く。
是非、一読を。

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