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きっと、もっと、うまくいく…かな?
このCMを見た方も多いだろう。
AmazonのCMだ。
夫婦が山ほどの買い物を抱えて住宅街の坂道を登っている。
娘たちが、「がんばれ、がんばれ」と励ましている。
夫婦は途中で、Amazonの大きな箱が配達されている光景に出会う。
そう、Amazonなら苦労して買い物を抱えて帰らなくても、直接自宅に届けてもらえるよ。
みんなが笑顔になるよ。
CMの意図するところはそんなことだろう。
ところが、
「これ、あかんわ」
見ていた妻が言った。
「これは、ちょっと違うわ」
AmazonのCMは、これまでにも面白いものがたくさん作られてきた。
これなんかは、少し前だが、話題になったりもした。
妻も概ね好意的に受け止めてきたはずだ。
ところが、今回に限っては、
「これ、あかんわ」
要するに妻の主張はこうだ。
Amazonが便利なのはわかる。
重い荷物を持って帰らなくても、家まで届けてもらえるのは便利だ。
最近は、Amazonロッカーの設置も増えてきて、ますます便利になっている。
我が家も結構な頻度で使っている。
セール期間中には、置き配の荷物が玄関前に山のように積み上がる。
しかしだ。
あのCM、あれが、一人暮らしのひとならわかる。
あるいは、主婦や主夫(めんどくせー)が日用品を抱えて帰ってくる設定ならわかる。
でも、これは違う。
あの夫婦は大変だったかもしれない。
それでも、あの時、あの場所へ家族で出かけて、買い物をあれでもない、これでもない、あっちがいい、こっちがいいと、話し合いながら楽しんだ。
そのことに、価値があるのだ。
それを、Amazonの便利さに置き換えるような CMは、ちょっと受け入れられない。
うーん、確かにその通りだ。
さすが、我が妻だ。
子供の頃におもちゃ売り場で、どれにしようかと迷った思い出のある方は多いだろう。
いっそ全部買って欲しいけれども、そんなわけにはいかない。
何度も売り場をいったりきたりしながら、最終的にしぼった、二つ。
さあ、あれかこれか。
そんな時に、ズルい子供のマー君は考える。
今日はこどもの日。
まずはこっちを選んでと。
実はマー君の誕生日は6月だ。
その時に、こっちを少し早めに買ってもらおう。
そうすれば、ほとんど同時にふたつを手に入れられる。
しめしめ。
これが、突然Amazonから送られてきたらどうだろうか。
マー君の企みは意味がなくなる。
それ以前に、おもちゃ売り場の思い出も無くなってしまう。
これは、すべての小売店に当てはまる。
最近減少が問題になっている書店。
もちろん、Amazonは便利だし、電子書籍は手軽だ。
しかし、本屋というあの混沌とした中から、自分が読みたい一冊を探しあてる。
それは、頭だけでなく、ポチッとする指先だけでなく、売り場を足を使って歩き回り、背伸びをして、腕を伸ばして、本の分厚さ、重さ、表紙の手触りを感じる、そんな身体的な行為なのだ。
恐らく、人生のある時期に、そしてその後も定期的にそんなことを体験するのは、必要かどうかは知らないが、無駄ではないはずだ。
そんな意味で、今回のAmazonのCMは、
「これ、あかんわ」
是非、Amazonには、
「Amazonは便利、そして、家族そろっての買い物も楽しいよ」
そんなCMを作って欲しい。
「家族でなきゃだめですか」
「幸せの押し売りですか」
そんな声に負けないで。