『ネクターを飲んだ頃』
駅を出ると線路沿いに歩いた。
狭い道を歩いていくと、中華料理店があった。
黄色い看板の文字は消えかけているが、「来々軒」と読める。
表の引き戸に、本日のランチは「麻婆豆腐定食」と、手書き文字で張り出されている。
そうだ、ここにも来なければ。
こんな店で、1人で夕食をとる。
餃子かチャーハンを少しずつ食べながら、ビールをあおる。
少し物憂げな表情で、壁の少し高いところに設置されたテレビを見ている。
多分、プロ野球中継だ。
見知った顔が入ってくると、首を少し下げて挨拶をする。
そんなのもしたかったのだ。
線路沿いに歩いて、小さなパン屋が出てきたら右に曲がってください。
くださいというのは、大家さんの言葉を急いでメモしたからだ。
1ヶ月ほど前に下見にきて契約した時以来だが、来ればわかるつもりだった。
それを母親が、途中でわからなくなったらどうするの、今電話して聞きなさいとうるさかった。
それで、一昨日の夜に大家さんに電話をして、駅からの道順を確認した。
パン屋を右に曲がった。
そのまま真っ直ぐ大きな通りを渡ってください。
確かに、大きな通りが出てきた。
車の往来が激しい。
信号も横断歩道もない。
なかなか途切れそうにない。
と、路線バスが止まってくれた。
運転席から運転手のおじさんが、行け行けと合図をしている。
頭を下げて、スーツケースをガラガラ引っ張りながら通りを渡った。
大きな荷物はあらかじめ送ってあった。
大家さんが受け取って、部屋に入れてくれている。
机と椅子、それに冷蔵庫と電気こたつは大学の生協で購入した。これももう届いているはずだ。
あと、衣装ケースと書棚も買った。
このふたつは、急いで組み立てなければ。
住宅街に入って突き当たりを左に曲がったところに目指す家はあった。
1階が大家さん宅で、2階の5部屋を下宿として貸し出している。
大家さん宅は、夫婦2人暮らし。
子供がみんな独立したのをきっかけに、2階を貸せるように改築した。
だから、部屋はまだ新しく綺麗だった。
両親と見にきて、そのまま契約した。
大家さんとは玄関が別にあり、顔を合わせなくてもいいのも気に入った。
まずは大家さん宅の呼び鈴を押して、鍵をもらわなければならない。
大家さんは、
「あらー、大変だったでしょ」と、いったん奥に消えた。
そして、湯呑みに熱い緑茶を入れてきてくれた。
それを立ったまま飲み干すと、鍵を預かった。
階段を上がって右側が部屋だ。
共同のキッチンとトイレがあり、それを囲むように各部屋が並んでいる。
鍵を開けると、送った荷物と、生協からの荷物が無造作に置かれていた。
それぞれの配置を決めて、書棚と衣裳ケースを組み立てた。
スーツケースを開けて、中のものを整理していく。
ひと通り片付いた頃には、陽が傾き始めていた。
大家さんに銭湯の場所を教えてもらった。
途中の新聞配達店に明日からの配達を申し込む。
メモを見ながら住所を伝えた。
おじさんは、知ってたよと言わんばかりの軽い返事をした。
銭湯を出た時には、もう薄暗くなっていた。
帰り道に、洋食屋に寄った。
Aコンビ定食を食べた。
若い夫婦でやっているこの店には何度も来るんだろうなと思った。
途中、公衆電話から母に連絡をいれる。
何故着いてすぐに電話をしないと怒っていた。
どうせ3日後には、入学式でこちらに来るくせに。
自販機でネクターを買った。
部屋に帰り、明かりをつける。
そうだ、カーテンがない。
明日にでも買いに行こう。
お金は、電話して振り込んでもらわなければ。
テレビは、自分でいらないと言った。
何となく、そういうもんだと思っていたからだ。
机の上に置いたラジカセをつける。
FMのチューニングを合わせる。
キャロル・キング。
ネクターを飲みながら、一冊も並んでいないスチールの書棚をみた。
卒業までには、あれをいっぱいにしてやろう。
家並みの向こうに、通り過ぎる列車の灯りが途切れ途切れに見える。
少し寒くなってきたので、こたつにもぐり込んだ。
いつの間にか、眠ってしまった。
その時には知るよしもなかったのだ。
それから銭湯の帰りには必ずと言っていいほどネクターを買うことも。
その1ヶ月後には、煙草を吸い始めることも。
家賃を払いに行くたびに、大家さんが緑茶を出してくれることも。
その部屋は、夏の午後は西日がまともで、とてもいられたもんじゃないことも。
そして、その2年後には、両親に引きずられるようにしてその部屋から出ていくことも。
知るよしもなかったのだ。
その後、何年も、何年もの時を重ねて、その頃のことを笑って話せる人と暮らせることも。