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イーロン・マスクのけつの穴

もしも僕がイーロン・マスクだったら。
そんなことは考えることさえできない。

僕は、投資も経営もしたことがない。
世の中の役に立とうなどと思ったこともない。

会社勤めの頃も、自分の給料のことしか考えたことがなかった。
会社が儲かっていようが、いなかろうが、自分の給料さえ上がればそれでよかった。
そして、同僚の給料が下がれば
「またチャンスはあるさ」と慰めながら、心の中ではほくそ笑んでいた。
そんな、けつの穴の小さな人間だ。
お見せすることはできないが。

また、もし生まれ変われるのならば、ビル・ゲイツかジェフ・ベゾス、あるいは大谷翔平の、本人にはなりたくなくて、その息子がいいなどと考えている、怠け者で、他力本願な性格でもある。
そんな人間がイーロン・マスクだなどと想像だにできない。
イーロン・マスクのケツの穴も見たことない。

だから、こう考えてみる。
僕がイーロン・マスクだったならではなくて、イーロン・マスクが僕だったなら。

僕(けつの穴の小さいイーロン・マスク)が買収した会社が大赤字で、しかも大量の必要かどうかわからない人員を抱えていたら、
「どうするん、これ。辞めてもらわなしゃあないんちゃう。お金だけは、ちゃんと支払って」
こう言うだろう。
ただ、怠け者で他力本願なので、その手続きは部下にやらせる。
いちおう、国会で追及されたら、
「秘書がやりました」
と言えるようにはしておく。

そして、大半の社員が出勤していないのを見た僕(けつの穴の小さいイーロン・マスク)は、人気のないフロアの中心でこう叫ぶだろう。
「みんなー、会社が潰れるかどうかというときに、リモートワークとか、何優雅なこと言うとんねーん。何が自分の時間やー。何が自分のペースやー。出社せんかーい。何なら、残業もせんかーい。休日出勤もせんかーい」
そして、部下に、部下の名前でこの指示を送らせる。
忘れていたが、僕(けつの穴の小さいイーロン・マスク)は卑怯でもあるのだ。

先日から、イーロン・マスクのTwitter社における取り組みが話題になっている。
経営だけでなく、何事においても素人の僕は、ある程度理解はできるのだ。
こんな、会社が存亡の危機の時には、現場に来い。
いちいちリモートに繋げなくても、
「おい」と言えば「はい」と答えられる距離にいろ。
ずっととは言わないが、今だけは多少自分の時間を削っても働いてくれ。
(本当は死に物狂いでと言いたいけど)
そんな気持ちには、会社のトップなら誰でもなるのではと想像するのだけれども。

もちろん、時代に逆行している。
これは海の向こうの話なので日本ではこの程度の騒ぎで済んでいるのだろう。
これが、日本の企業で行われたのなら、それだけでその会社はもうやっていけないかもしれない。
そもそも、今の日本でこんなことのできる経営者もいないし、法的にも難しい。

物事は、そんなに簡単に逆行させられるものではない。
そうしようとした行為が問題になるのは、そこで歯車が火花をあげているからだ。
リモートワークが定着してくれば、やがてこんな会話が交わされるようになる。
「昔は、毎日出勤なんて、あんなことよくやってられたよなあ」
「君たちは、満員電車なんか知らないだろう」
それは、
「昔は、週に6日なんて、よく働けたもんだ」
「休みが日曜日だけで、休養、家族サービス、全部やっていたなんて」
「電車が止まりそうな時には、会社に泊まり込んだよ」
そんな会話が今では笑い話として交わされるのと同じだ。

それでも、時々考えてしまう。
もしも、あの頃のように今の日本人がモーレツに働き出せば、日本はどうなるのだろうか。
元気がないと言われている日本に、再び元気は戻るのだろうか。

もちろん時代を戻すことはできない。
誰も、モーレツ社員になどなりたくない(オー、モーレツはいいけど)。
企業戦士になど志願するはずもない。
「24時間働けますか」などと聞くだけで、パワハラだ。
しかし、勤勉というのは、そんなに悪いことなのだろうか。
かつて勤勉の代名詞といえば、二宮金次郎だった。
その銅像は、小学校から撤去されていると聞く。
本を読みながら歩くのがいけないらしい。
彼の歩いているのは、車など通らない農道か山道だ。
そんな想像力のかけらもないPTAか教員の仕業だろう。
そんなことを言ってる奴らに限って、今もながらスマホをしているに違いない。

さて、時代を逆行させることはできない。
知らずに犠牲にしていたことを繰り返すわけにはいかない。
手に入れたものを手放すのは愚かなことだ。
それでも、あの頃には、みんな輝いていたと思うのは、歳をとったからだろうか。
そんなことはないと思う。
それは、あなたたちがブラックに染まっていたからですよと言われるかもしれない。
その通りだ。
しかし、そのブラックを取り除いてもなお、自ら輝いていたものもあったと思うのだ。
それは、当時若かった僕たちだけではない。
上司も、おじさんも、おばさんも、みんなそうだった。
今では否定されるだけの働き方ではあるが、何か大切なものを見落としてきたようなそんな気がしている。
それは、もう取り戻すこともできないのかもしれないけれど。

そんなことを、自分はそんなに頑張って働く気もない、けつの穴の小さい、怠け者で、他力本願で、卑怯者のおじさんは考えている。
ああ、大谷翔平の子供になりたいなあ。

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