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マー君
2024年8月31日 10:51
無事ならば無事で気になる厄日かな碧萃生今日は二百十日。立春から数えて210日目とか。昔からこの日は、台風の多い日とされてきました。今年はまさにその通りの二百十日となりましたね。まだまだしぶとく居座っています。気をつけましょう。厄日は二百十日の子季語です。
2024年8月22日 15:51
供花映ゆ処暑の国道一号線碧萃生「映ゆ」はどうなんでしょうね。「一号線」も何号線でもいいような。でも、目の前は「一号線」だったのです。とにかく処暑。暑さをおさめるのはセルフでお願いします。
2024年8月15日 16:37
戦争の俳句で真っ先に思い浮かぶのは、戦争が廊下の奥に立つていた 渡辺白泉この句は教科書にでも載っていたのか、十代の頃から知っていたような気がする。廊下の奥で、先生が手招きするように、戦争がさりげなく待ち構えている。遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男別に戦争で亡くなったと言っているわけではないが、背後に「戦死」の文字が見えるような気がする。またはこべらや焦土の色の雀ど
2024年8月8日 16:53
腕時計ひとまづ外す残暑かな碧萃生コメダの全部乗せです。もちろん?妻と分け合いますよ。
2024年8月7日 12:52
秋立つや選手宣誓澱みなし智弁和歌山の辻旭陽君、本当に落ち着いた選手宣誓だった。「あれからちょうど100年経った今、僕たちはここに立っています。僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること。そして、僕たち球児のあこがれの地であり続けることです」そうなのだ。大人は今、甲子園が聖地であり続けること、この夢をかなえるために、奮闘しているのだ。球児の憧れの地を
2024年8月6日 12:49
現世を生きて原爆記念の日言はれねばわからぬ者に原爆忌乗り遅れたる日の空や原爆忌※推敲済原句 乗り遅れたる日の空を原爆忌僕は京都生まれだが、戸籍は広島から始まる。広島に疎開していた父が、その後もしばらく本籍を移していなかったからだ。疎開先は竹原市で、僕も幼い頃に一度だけ行ったことがある。昭和20年8月6日の朝、父の姉、つまり僕の伯母は広島市内に用があると、仕度を急いでいた。
2024年8月4日 17:02
いつの間に川の字となる昼寝覚碧萃生めったに昼寝はしないのですが、オリンピック疲れか、ぐっすり寝てしまいました。オリンピックの話題に隠れていますが、大谷翔平は30本30盗塁達成、高校野球の組み合わせも決まりました。
2024年8月1日 17:09
人毎に返す目礼晩夏光碧萃生義母がお世話になっていた施設の部屋の整理に行っていました。亡くなる直前に送った荷物が届いていました。