社員の「運」は人材育成で高められるか?
ちょっと胡散臭いタイトルかもしれませんが、経営者の小ネタ記事として読んでいただければ幸いです。でも一応真面目に考えていることを書き綴っていきます(笑)
いわゆる成功した人にその要因を聞いてみると、多くの人がこのように答えます。
「運がよかった」
もちろん、人並外れた努力の結果という答えもありますし、天賦の才能に恵まれたという答えもありますが、それでも私の記憶の限りでいうと、「運」を挙げる人が多いと感じます。
しかし、実際のところ「運」ってなんなんだ?
成功するために「運」が必要ならば、まずその「運」とは何か?を知らないと始まらない。
経営者として考えるならば、会社の成功は自分自身の「運」だけでなく社員の「運」も大切なはず。そんなことで今日は運について考えてみたいと思います。
運とは?
例によって今回もまず辞書を開いて確認するところから始めます。
実は「運」という単語を生まれて初めて辞書で引きました。
そうか、運とは巡り合せだったのか。
ちなみに広辞苑で調べてみてもやはり「巡り合せ」の言葉が使われていました。新明解の独自の見解というわけでもないようです。
ちなみに巡り合せも調べてみたら、「狭義では運命」という解説がありました。
わっ、運命ですか!
運命となると、もはや努力とか鍛錬ではどうすることもできない意味合いになってしまいます。そうなると神頼みとか祈るという次元と考え、参拝するとか祈祷してもらうといったことで、手に入れようということに繋がらざるを得ません。
成功するために運が必要だとしても、それは人の努力ではどうにもならないと結論づけてしまうと話が終わってしまうので、もう少し引っ張ってみたいと思います。
気付く
友人にやたらと有名人に会う人がいます。この間は芸能人の誰々に会った。その前はスポーツ選手の誰それを見た、という感じに、とにかくよく遭遇しているのです。
一方で私は特段見たという経験はありません。空港とか新幹線とかで見かけることもないことはないですが、彼ほどにということはありません。
ではその彼は、空港だったり新幹線を頻繁に利用しているかというと別にそういうわけでもない。六本木とかでいつも遊んでいるなんてことでもありません。
でも何度か彼と出歩いたときに、その理由が分かってきたのです。
彼と出歩くと彼はよく言うのです。「あっ、誰々がいる」と。
その言葉につられてその方向を見ると、確かに誰々がいます。
「おっ、俺も有名人をこの目で見れたぞ」なんて思ったりしたのですが、彼といると兎角同じような状況が起こります。「あっ、誰それがあそこに」ということが。
そう、彼はよく出会っているのではなく、よく気が付いていたのです。
出歩いているときに周囲を見渡していると、誰かによく気付く。関心が強いのか、観察眼が鋭いのか、何かのアンテナが生えているのかは分かりません。本人も特に意識しているわけではないのです。
彼はよく「気付く」。
そして私は「気付けていない」。
私自身で言えば、都内の繁華街を出歩くことや、有名人が多く住んでいるといわれるエリアに足を向けることも多いので、可能性としては見かける機会は少なくないはずなんです。しかし単に気が付いていないと解釈する方が妥当性が高いと分析したわけです。
この違いが、有名人に出会える頻度の差になっているのだと私は結論付けました。
気付く、気付かないの違いとは
よく有名人に出会えるという事象を、よく有名人に巡り合うと言い換えてもさほど違和感がないと私は感じます。同じ場所に偶然居合わせただけの話に対して何を大袈裟に、と思う方もいるとは思います。
しかし単なる偶然に居合わせた、すれ違ったということに対して気付けたか、気付けなかったか、この違いが「巡り合い」につながるとも言えるわけです。
別の例えをするならば、そこに1億円が落ちていても気が付かなければ何も起こらない。しかしもし気が付けば、そこで何かが起こるわけです。持ち逃げはよくないですが、警察に届けることで後に何割か謝礼がもらえるかもしれません。
やや強引かもしれませんが、巡り合いとは気が付くか付かないかの違いによって起こるものと言えます。
とするならばです。
「運」とは気付くか気付かないかの差によって生じているという分析も成り立つのではないかと、私は思ったりするわけです。
気付けなかった人が気付ける人になるためには
ある時期私は車を買い換えようと考えました。その時になんとなくですが、とある車がいいなと思ったのです。そんな思いを持ち始めると、その車がやけに目に入ってくるようになりました。この車そんなに走ってたっけ?と思うくらいによく目に入ってきます。それなりに有名な車なので、普段から目にはしていたことは確かなのですが、欲しいという意志をもってみると、今まで以上に気が付くようになったことがありました。
バッグを買い換えようかなと思い始めると、途端に行き交う人たちの鞄に目が行くようになったこともあります。すると〇〇のバッグはかっこいいなとか、★★のリュックも使い易そうだななんて具合によく気が付くようになります。
そう。気付くためには、買い換えようかなとか欲しいという意志を持つことが必要だということが分かります。こうした経験は皆さんにもごく普通にあるかと思います。
私は通信販売の仕事を長年してきたので、通販広告はもとより様々な広告のデザインやコピーに目が向きます。新聞を読んでいてもTVを見ていても、電車に乗っている時はとにかく中吊り広告をよく見ています。そこにデザインやコピーのヒントが溢れているからで、事実そこで得たヒントから売れた通販広告に繋がったことも多々あります。
社員に広告作りに関する相談を受けるたびに、この経験をよく話していました。例えば通勤電車では中吊り広告をよく見なさい。そこにはヒントが溢れているよと。
するとその社員は実際に中吊り広告を意識して見るようになります。そして実際にいいアイデアが浮かびましたといった報告をしてくれたこともよくありました。
これって、アイデアのヒントに巡り合う術をひとつ身に付けることができた、と言ってもいいと思います。
もしこのアイデアがヒットに繋がったとしたら、こう表現することも可能です。
「このヒット商品が生まれた理由、それは偶然目に入ったある広告から新しいアイデアが生まれたんです。運がよかったんですよ」と。
神頼みの効果
以前サントリーの創業者鳥井信治郎さんの伝記小説を読んだことがあります。その本によると、彼はとても信心深くて毎朝近くの寺社にお参りにいっていたそうです。旅先であっても最寄りの寺社を見つけては欠かさずお祈りを続けていました。そこで彼自身が目指す成功や幸せを祈り続けたのだそうです。
私がそのエピソードを読んで感じたのは、毎朝祈ることで自分の夢を自分自身に意識づけさせていたのではないか、という事でした。夢や理想、目標でもいいのですが、心に抱きつつも毎日慌ただしく過ごしていると、つい忘れてしまう、意識が薄れてしまうというのはよくあることだと思います。
未来の夢よりも、今目の前にある案件ばかりに意識が向いてしまう。その案件の解決法も本当であれば、未来の夢に近づくための一歩かもしれないのに、夢の実現から遠ざかるような目先の利益を主体に解決しようとするなんてことはよくありそうです。
しかし毎朝お祈りすることで、その夢を心に強く意識づけることができます。その日に何かが起こっても、その夢への道筋として解決することが出来るかもしれません。
鳥井さんご本人は厚い信仰心での習慣だったのかもしれません。でもその毎朝、自社に赴き祈る行動が毎日の気付きのスイッチとなり、数々の「運」に恵まれたとするならば、それは神仏のご利益であると同時に、自らの手で手繰り寄せたものであったとも言えるのかもしれません。
神頼みというと他力本願的(これは仏教用語ですが)というか運頼みのようなニュアンスもありますが、神頼みを欠かさないことで夢に向かう自分に日々スイッチを入れることが出来るのかもしれません。そのスイッチによって、多くの気付きをすることで「運」という名の具体的でリアリティのあるアイデアや人との巡り合いを得ることができそうです。
欲することから始まる
より多くの気付きを得るためには、何かを欲しい、何かを得たいという意識を持つことが始まるのだとしたら、それはご利益ではなく行動によって可能な領域な感じが致します。
偶然巡り合うのではなく、そのためのヒント、アイデアを探すわけですから誰もが意図的に出来ることです。次に新しいバッグを買いたいと思って、道行く人の持っているバッグを意識することと基本的には同じことなのですから。
気付きを持つこと、それを忘れないことで「運」を掴むことができると考えれば、「運」とは意志と努力の領域です。
意志と行動で得られるものであれば、それは企業の人材育成のプログラムとして実行することも可能であるといえます。
例えば日々の意識づけ、上司とのコミュニケーションでもできますし、実際に意識したことで気付いたことを日報に記録するといったことは、ごく普通の会社のルーティンです。
意志と行動の領域では、もはやそれを「運」というのも可笑しな話にも聞こえますが、ただ偶然を待つだけよりは建設的というか、希望があります。
何よりも、「アイデアを探すためには常に意識を持って街を歩き回る行動をしなさい」
なんていう指示めいた掛け声で社員を動かすよりも、
「アイデアを探すつもりで出歩くと、なんと幸運が目の前に舞い降りてくるかもしれまないよ」
なんて声かけする方が、私は楽しくていいなあと思う性質なのです。
そして、もしそんなつもりでアイデアが見つけられたら、さらに言うと本当に「運」に巡り合えたとしたら、楽しく仕事できそうだなとも思ったりするのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?