『日本を降りる若者たち』を読む
昨日に引き続いて暑い一日でした。本日は、下川裕治『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書2007)の読書感想文です。まだ、読了前ですが、何とも切ない内容にちょっと考えてしまったので、記憶が生々しい間にメモを残します。
まとめ買いした一冊
毎月29日は、BOOK-OFFの300円引きクーポンが使えるので、100〜200円+税の値札がついている書籍の中から、興味を持ったものをあまり内容を吟味せずに購入しています。本書もその中の一冊でした。ただただタイトルが強烈だったので、中身は全く確認せずに買いました。
著者の下川裕治氏は、1954年生まれで長野県松本市出身、新聞記者を経てフリーのライターをされている方です。かつては、自らも海外でバックパッカー生活をしていた経験があられるようです。
閉塞感からの「外ごもり」
序章は、タイの首都バンコクにあるカオサン地区の話からはじまります。バックパッカー、貧乏旅行者にとってのメッカのような場所です。
筆者は、目の前の現実から逃れる為に旅をする若者は昔から一定数おり、彼らからは挫折・逃避・頽廃の香りは漂っていても、理想を求める姿勢があった、いずれ終わりがあるのが旅であり、戻るべき場所へ戻るから旅なのだ、という自覚を持っていた、という風に書いています。
ところが、最近(本書出版の2007年)では、「沈没」から、海外の街で何もしないで引きこもる「外こもり」(浜なつ子さんのことば)をする若者の話が紹介されています。
50代で『引きこもり』を体験した私
自分自身を振り返ってみれば、私は社会に出てからの20〜40代、気持ちの浮き沈みは都度あったものの、奇跡的に会社員という身分と責任を捨てずに継続的に仕事をして過ごすことが出来ました。組織の駒として働くことの虚しさは、早い段階から感じていたものの、離脱を本格的に考え始めたのは、ある程度自分のやりたかったことを果たし終えた40代後半でした。
我慢して会社にしがみつく必要のない程度の蓄えと未来設計はできていたし、捨てたところで何ら惜しくもない責任と肩書きでしたから、自分の心と相談の上、権利を行使し、実質的に引きこもりのような生活を二年近く送りました。本書でやや否定的に描かれている若者の心情や行動と、私の態度には大差ありません。
今では、人材としての価値が廃れたら組織から使い捨てにされること、モノとして駒扱いされること、に違和感や嫌悪感は持っていないものの、嫌なことからは徹底的に逃避したい、という甘えと傲慢さは、しっかり持ち続けています。私が「外こもり」をしたいと感じていないのは、自分なりに仕事では一定の成果を上げ、家族に恵まれた、という自己肯定感を感じられる要素があるからであり、それは単にタイミングに恵まれ、ラッキーだっただけでしょう。何もかもうまくいかない状態だったら、自暴自棄になって、日本を捨てていた可能性は極めて高いです。そう思うと怖いな、紙一重だな、と感じて、気分の塞ぐ瞬間でした。
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