『サル化する世界』を読む
昨日はお酒の酔いのまわりが酷くて、頭が全然働かず、身体の自由も効かず、部屋に戻って早々にベッドに倒れ込んだ為、またしても『毎日note』の連続投稿記録がストップしてしまいました。また、振り出しに戻るですが、気分一新で進めていこうと思います。本日の内田樹『サル化する世界』(文芸春秋2020)の読書感想文から、再開です。読了しておらず、特定の部分を抜き出しての感想です。
定期的に意見を拝聴する論客
著者の内田樹氏(1950/9/30-)の著作はよく読んでおり、自分に許している本の爆買いデーで持っていない作品を見つけたら、結構な頻度で買い求めています。本書は2020年の発行で、収められているのは、2010年代後半に書かれたブログやエッセイです。舌鋒は鋭く、支配層に阿らず、蔓延している大衆の常識に安易に迎合しない論調が、好き嫌いの分かれる論客だろうと思います。
サル化する世界の意味
本書のタイトル『サル化する世界』は、随分と刺激的ですが、本書の中で最も面白いと言っても過言ではない「なんだかよくわからないまえがき」に書かれている説明によれば、
を、ブログのタイトルにする為に短く言い直したものであり、今の日本社会を覆っている空気感を的確に表現したものとなっています。
その後、三国志の呂蒙の有名な逸話が別の意味に変質してしまったことが日本の生き苦しさに繋がっているのではないか、という論旨が展開されます。
この冒頭の短いまえがきで内田氏が用いている組み立て方や論旨展開のテクニックは鮮やかであり、内容に100%賛同するかどうかは別として、「モノを書く」という視点で非常に勉強になりました。
幼児的な老人
P248〜257の「いい年してガキ なぜ日本の老人は幼稚なのか?」も非常に興味深く読みました。
内田氏は、幼児的な老人は、日本が戦後70年かけてつくりこんできたものなので、短期の解決は容易ではない、人口減少、高齢者比率の増加が進む日本社会は長期後退戦を闘わなければならないという絶望的な意見を展開します。それは、多様な人間の育成を行わず、他人と共生する能力に乏しい人間を生み出す教育システムを一貫して行なってきた結果だとするのです。
私が人生後半戦で学び直すべきは、仕事のスキルや成長のメソッドなどではなく、これまで意識して磨いてこなかった他人と共生する能力なのだと思います。こうした考えは、内田氏のみならず、自らをサイコパスと称する岡田斗司夫氏の最近の主張からもみてとれる傾向です。分断を進めてしまうとより暮らしにくい社会に突き進みそうな気がします。