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『かもめのジョナサン』を読む

三連休最終日の今日は、30年以上振りに読み直したリチャード・バック作・五木寛之訳『かもめのジョナサン』(新潮文庫1974)の読書感想文です。

数少ない高校時代に読んだ小説

私が本格的に『本を読むオトナになる!』と決める前の中学・高校時代に読んだ小説が数冊だけあります。覚えているのは、

● アラン・シリトー『長距離走者の孤独』
● 村上龍『限りなく透明に近いブルー』
● 三島由紀夫『初恋』

そして、この『かもめのジョナサン』です。当時本読みのど素人だったにしては、なかなかセンスの良い選択眼を持っていたものだと自惚れています。

本書は、一昨日に松本市内に出て、古書店に立ち寄った際に、100円(税込み)コーナーの棚で偶然見つけて、衝動買いしました。カバー無しの剥き出しの文庫本の定価は320円という表示でしたから、私が当時新刊で買ったバージョンと同じです。訳は私が尊敬する五木寛之氏です。

勘違いさせるだけの迫力があった

原書は1970年の発売。説明不要の大ベストセラー作品ですから、私が解説するのは野暮というものです。ヒッピー文化が全盛だった1972年に突如売れ出したようです。著者のリチャード・バック(Richard Bach、1936/6/23- )は、プロの飛行士ということもあり、有名なサン=テグジュベリ『星の王子さま』(1943)と並び称される飛行機小説でもあります。

主人公であるジョナサン・リヴィングストン、師匠であるチャン、教え子であるフレッチャー・リンド、皆とても魅了的なキャラクターを備えています。10代で本書を手に取れば、自分は彼らのように選ばれし者なんだ、と錯覚しても何ら不思議ではありません。

五木寛之氏が抱いた違和感

あとがきには、訳者の五木寛之氏の解説が収録されています。訳した当時40代だった氏は、抑え気味ながらかなり辛辣な批評を残しています。「肌に合わない」という直感的な拒否意識があったのだろうと思います。そして、今回40年近く振りに改めて読み直した私が感じた思いもそれにかなり近いものでした。

高い場所から人々に何かを呼びかけるような響きがある。それは異端と反逆を讃えているようで実はきわめて伝統的、良識的であり、冒険と自由を求めているようでいて逆に道徳と権威を重んずる感覚である。

P137

彼の思う「愛」にはどこかチャリティショウの匂いもしないではない。

P137

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