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『自由と成長の経済学』を読む❸

本日は、旅の紀行文などを挟んで中断していた柿埜真吾『自由と成長の経済学』(PHP新書2021)ノートの第三回、第4~6章です。

第4章 社会主義は反動思想(P83-103)

この章では、「社会主義の正体は、市場経済社会に対する反動思想」という主張が展開されます。柿埜氏は、

実は社会主義や共産主義も、持続的経済成長という事件の衝撃に対する反動から生まれてきた思想なのである。(P86)

と断言しています。この世界の富は一定のゼロ成長社会を前提に、誰かが豊かになる=誰かが貧しくなる、という常識に囚われて、資本家や企業家の繁栄が、労働者を搾取していると見立てたのがマルクス主義思想だが、現実は、資本主義の産み出す持続的経済成長社会なのだから、実際は双方にWin-Winなのである、ということと理解しました。

資本主義はゼロサムゲームではなく、一部の人間が豊かになるために他の誰かを犠牲にするようなゼロサムゲームではないからである。(P100)

と書いています。

柿埜氏はレーニンの帝国主義理論も扱っていますが、「時代遅れな話」という感じで軽く斥けています。「中心が周縁を巧妙に搾取することで、目先の問題を隠蔽する」という、資本主義への割とポピュラーな批判が潜んでいると個人的には思うものの、そこへの配慮は十分とは思いませんでした。

第5章 資本主義の完全勝利に終わった20世紀の体制間戦争(P105-117)

資本主義の進化系とされる社会主義を達成し、計画経済を導入した旧ソ連が、西側資本主義国に劣位していく歴史を描いた章です。社会主義独裁国家が没落し、崩壊したのは歴史的事実なので、書かれている内容通りに受け取っていい内容かと思います。

第6章 理想社会建設の末路としてのソ連(P119-142)

この章を柿埜氏が配置した目的は、

21世紀のマルクス主義者の約束を軽々しく信じる前に現実の共産主義の生活を吟味してみよう。(P121)

です。共産主義社会が理想には程遠く、資本主義社会に劣後している事例が列挙されています。ソ連や東欧の話は事実だと思うので、「共産主義社会がいかに悲惨か」と実態を知る効果を発揮していると感じます。

脱成長コミュニズムが問題視している資源消費・環境破壊はむしろ、成長やイノベーションとの相性が悪い文化を持つ共産主義国家の方で酷かった、という指摘は、重要な論点だろうと感じます。資源消費の抑制、環境負荷の低減は、市場主義の競争メカニズムでは達成できないのか?という視点は大切でしょう。

ここまで読んでみて……

現代の資本主義が突き付ける矛盾や閉塞感に疑問を感じて社会主義思想に興味を持った読者を、一昔前の共産主義社会の辿った運命の悲惨さをふんだんに紹介して、イメージで諭す、というオーソドックスな批判、と映ります。

ここまで読み進めてきて、「脱成長コミュニズム」に共感する読者が、今の資本主義の何に不満・疑問・幻滅を感じ、批判の矛先を向けているのか?の消化が不十分ではないのか?と感じています。柿埜氏は、重々わかっていて、わざと問題点を切り捨てているようにも感じます。

私は、旧ソ連や今の中国のような共産主義体制なんて望まないし、これまでの資本主義の効用を全否定もしません。かつてマルクスが分析し、明らかにした資本主義のメカニズムの行き着く先に危機感を覚え、今進行中の資本主義は修正が必要という立場で、「脱成長コミュニズム」に接近しています。加えて、何でもかんでもが市場経済に組み込まれて、どんどん商品化が図られ、ビジネス化されていくことに一抹の気持ち悪さを感じています。

なので、いかに過去の社会主義・共産主義がダメだったか、というファクトを滔々と強調されても、正直響きません。今のところ、「これから先も絶対に資本主義でなければならない!」と強烈に腹落ちする論拠と主張が展開されていない印象です。

第7章は、本書のハイライトとなる『人新世の「資本論」』批判なので、期待して次回に続けます。

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