ひきこもり日記*望みを知ることはじぶんを知ること
猛暑の中、ひきこもりはじぶんを甘やかして生きている。これでもやっと罪悪感から少し解放されて今を楽しむことができてる。が、ひきこもり始めは、じっと家にいていいんだろうか。お金は?人様の目は?なんて余計な不安をかかえてた。
今でもそんな妄想をかかえて人と対すると、じつはそれはただの被害妄想なのでは?と客観的に見れるようになってきた。聞かれもしないのに、言い訳を考えてじぶんを正当化しようとすると、じぶんに嘘をついてることになる。メンタルが~とか、カラダが~とか不調の言い訳をすると、ほんとにそうなって、じぶんを追い込んでしまう。
堂々とエアコンのきいた部屋にいて、映画見たりドラマ見たり、本読んだりゲームしたり。食べたいもの作って、飲みたいもの飲んで、好きなことをしてる。罪悪感をかかえず、ひたすら楽しむと、必ず『飽きる』
飽きて外に出る。暑い。疲れて「やっぱ家サイコー」と、好きを追求する。
細かく細かくじぶんの望みを聞いてみる。
本読みたい映画観たい。
なぜ?感動したいから。生きるヒントがあるから。
アレ食べたい。
なぜ?暑いからさっぱりしたものが食べたい。そうやって望みを聞いても5分後のわたしは違うものを食べたかったりする。夏バテぎみだし、がっつりギョーザとか食べたい。細かく全部聞いてたら、めんどくさくなってくる。でもここはじぶんの今の望みを聞く練習する。
小さいことでもじぶんの望みがわからないことのほうがつらい。
なにをしたいのか、どうしたいのかわからないときは、じぶんを見失ってる時だ。
アレが欲しい。
なんで?人気だから。必要だから。ほんとに?似たようなモノ持ってない?
note書きたい。
なぜ?吐き出したい。書いてると客観的に見れるから好き。
note書きたくない。
なぜ?PC遅い。解決したでしょ。なんで書きたくない?書くことないし、めんどう。モチベーションが続かない。
なぜ?書く意味がわからない。悩みとか苦しみを書きたくないし、書いても迷惑なんじゃないか。誰もわかってくれないし。
どうしてそう思うの?誰もわたしのことなんて気にしてないよ。じゃあnote友達が何も書かないと寂しくならない?気になるでしょ。だったらつぶやきでいいから書いてみたら?
望みを知るとじぶんがわかる。
好きなことがわからないのは、誰かに世間に、じぶんじゃないものに焦点が合っている。
小さくていい。望む。
少しでいいから眠りたい。
カラダが動かないなら、ほぐしてあげる。
望みはなんだ?サイコーはなんだ?
今日もひきこもりは、小さなじぶんの願いを叶えて、満足感と達成感を積み上げていく。