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緩む舌

成人を過ぎ、呑みの場数を踏み慣れた頃、あれほど苦くて不味いと感じていたビールが、ある日を境に麗しの黄金色の飲み物に取って代わった。

炎天下の浜辺で、差し出されたキンキンに冷えたビールを思い切り流し込むと喉を鳴らすごとに五臓六腑に染み渡り、舌に鳥肌を立てる。
こんなに美味しいものだったなんて!夏は私のもの!最高!!と拳をあげたくなっている。

むかしは苦手だった味が大人になって癖になっていたり、旅先での挑戦が新たな味覚の扉を開いて、あるとき無性に恋しくなっていたり。

骨格や器官の成長と同じように舌もまた、
記憶や経験とともにその人なりの成熟・洗練の途を辿る。

ファットガールと玄米

13年前のある夏、私はメルローズにある人気レストランのショーケースの中からいくつかのデリを選んでいた。

肉や魚、卵、乳製品など動物性のものは一切使用せず、それらが不使用だとはにわかに信じがたい彩り豊かなデリが並ぶ。ショーケースには沢山の視線が集まり手さし指さし注文する声が飛び交う。見渡す店内はほぼ満席。

注文して運ばれてきたのは、マリネされた野菜に穀類で食感が加えられた玄米SUSHI ROLLと、キノコを野菜だしで煮詰めたスープ。
柔らかな口当たりから広がる優しい味わいは、大味に慣れた舌に微細な感覚を呼び覚ました。
胃を満たした後も軽さが続いて、血管に栄養がながれていく感覚さえあったが、二十代前半の私にはやはり物足りなさもあった。

向こうには、片手に特大コーラを携えたファットガールが巨体を揺らしながら歩いている。
そんな姿が珍しくない日常風景のかたわらで、この日本食に近い優しい料理が健康食として受け入れられていることに嬉しさと驚きがあったのだった。

この日、マクロビオティックという言葉を初めて知った。土地や宗教観からくる食文化とはべつに、菜食主義に分類があり、更には人の数だけ食べ方も多様にあることを知った。

泳ぐ舌

ナマズの皮膚は、25万個の味蕾(みらい:味覚を感じる器官)で覆われているらしい。それは人間の20倍以上。

夜行性のナマズは、目を頼りにできないぶん周囲の環境をまるごと味わう能力が備わっているのだそうだ。研究者たちからは「泳ぐ舌」と呼ばれている。

そんなナマズはグルメなのかと思いきや、全身で味わえてしまうのだから彼らが感じているのは藻や泥や獲物をいっしょくたにしたごちゃ混ぜカオス味なのかのもしれない。
そう考えるとなんだか気の毒でもある。

舌鼓

どこにいても旅をいとわない舌。
私たちほど五感を駆使して食事を堪能する生き物はおそらく他にいない。
食べることは生きること、幸せなこと。

もし仮に、賞味期限が記載されていなくとも、わたしたちには(目・鼻・口・声・そしてときに触って確かめたりして)口にしていいものかを判断する機能が備わっている。訓練すれば巧妙に隠された化学調味料の味にだって気づけるようになる。
時間とともに器官が衰えても、感覚というのは使えば使うほど磨かれていくものだと信じている。

食材が調理され皿に盛り付けられるまでの工程や、それを取り囲む環境をつくり上げていく一連の営為は私たちの持てる創造力の賜物だ。

栄養を血肉にするためだけでなく、食事を通して心は満たされ生活全体はゆたかになる。

緩む舌

あらゆる選択肢に恵まれたいま、欲求のまま冒険をつづけてはヨダレる舌。
それが三十を超えて身体の変化とともに落ちつきだし、いま身体が何を欲しているのかを問うのが上手くなった。

好奇心や興味のおもむくまま、感動や発見をもとめて可能なかぎりの食体験を積みかさね、意識裏に蓄積されていく統計。
そうゆう多角的な判断や、動物的な直感や欲求が今日の食事に導いてくれる。

一時の静養に、閉館して管理する人がいなくなった田舎の温泉宿でひとり暮らしを試みたことがある。
資源に恵まれた大分の山のなかで、湧き水や温泉水、山の幸、農家から採れたての野菜を毎日いただき、自然食で英気を養う日々をおくれたことは、実際的にわたしの食生活に大きく影響した。

畑から採ってきた新鮮な作物をまるかじりすると、「エネルギーを食べている!」と実感する。
あらゆる咀嚼が還元され、循環し、絶え間なく交換されるエネルギー。その大きな循環の一端にいる自分もまた、自然の一部なのだということに気づかせてくれる。

こうゆう、自然の理にかなった食生活は、既にあるたくさんの恵みを実感させてくれるだけでなく、
たくさんの偉業を成し遂げたひとたちが選んできたように、自分がもてるパフォーマンスを最大限に引き上げてくれる方法のひとつなのかもしれない。

当時は物足りなかったマクロビレストランから今までの食遍歴を経て、
菜食中心の料理を食卓に並べながら、どこいく先に尖らせていた舌を緩ませているのだった。


         🥕


※週二回、福岡の六本松でランチメニューをだすことになりました。


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