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奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』を巡る一考察

本作への敬意を体現すべく試みる吾輩の諸事情について

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。吾輩はいま上海に居る。」
明治の文豪夏目漱石代表作の冒頭を模して斯様な文章にて始まるのが、我らが平成の文豪奥泉光先生の初期の名作『「吾輩は猫である」殺人事件』である。初版単行本は平成八年、西暦で云えば一九九六年一月、つまり丁度四半世紀前に世に放たれた。四半世紀と云えば、赤子が成人し立派な社会人へと成長するに充分な時間である。何を隠そう斯く云う吾輩自身、亜米利加は西海岸に逗留して居った当時、彼の地の在留邦人向け食品量販店に併設された書店に注文して本作初版本を取り寄せ、米人向けの矢鱈と大きな寝台で横になっては生後一年にもならぬ長男を寝かしつける傍ら、重い厚表紙本を貪るように読み進めた日々を思い出す。斯くて乳飲み子であった愚息もいまや二十五歳となり、立派かどうかは兎も角も一人の社会人へと成長したところへ、ふと文庫本を買って再読して見ようと思い立ったのが、かれこれ半年前のことである。

ところで吾輩と名乗っては居るが、吾輩は女なのであり、本来なら吾輩なる自称はそぐわぬところであるが、漱石の文体模写を貫いて六百頁に及ぶ大作を著した奥泉先生に敬意を表し本拙文を記すと心に決めた以上は、矢張り其の文体と様式を模倣することこそが奥泉作品へのオマージユ、つまり敬意の体現に他ならないとの浅知恵なのであり、例え明治の女の一人称文学を今更紐解き倣おうと試みたとて、その暁には彼の作品へのオマージユに邁進するやも知れぬ予感が拭えず、それでは元も子も無いのであって、ここは一つ、女が吾輩なる一人称にて綴る無礼と掟破りを何卒目溢し頂きたい所存である。

とは云え、文体模写とは一朝一夕にて会得できる様な代物で無いのは吾輩が云うまでも無く、作家としての才能と見識と経験を以ってしても、先ずは果敢に挑戦せんとする勇気に加え、日常と掛け離れた文体で全編綴り尽くす根気が要るのであり、そこへもって出版し読者を得、金銭的利益を自身と家族のみならず出版社の社員とその家族へも又もたらすべしとの責任の重圧がのしかかる以上、並大抵の作家では手の出せる所業ではない。であるからこその吾輩の奥泉先生への敬意なのであるが、吾輩が斯様な駄文を綴ったとて誰が得する筈も無いのである。では何故吾輩が敢えて下手糞な文体模倣を試みようと考えたか。それは、その行為が楽しいからに他ならない。心躍るからとしか云い様が無い。要は全くもって自己中心的な動機からなのである。

吾輩は作家ではない。文体と内容が世に出て批評に晒される職業作家ではなく、これは謂わば遊びに過ぎないのである。ノオトなる電脳空間の片隅に、或る日ひっそりと、否こっそりと置かれ、誰の目にも触れぬかも知れぬと云う寂寥感と引き換えに、誰からも過ちを指摘される筋合いの無さ、書いた中身への責任の無さという清々しいまでの自由が、端から保証されて居るのである。吾輩が如何なる駄文悪文を書き連ねようが、そこは奥泉先生の決死の覚悟とは月と鼈(すっぽん)、いや引き合いに出される鼈にさえ失礼であると言えよう。なんだか言い訳めいた段落となった次第を是非共御赦し頂きたいが、謝罪に謝罪を重ねるばかりでは先へ進まぬ。前置きはさておき、そろそろ本作『「吾輩は猫である」殺人事件』の話に入るとしたい。

本作冒頭の引用による文体模写の例示と、作家と編集者の壮絶なる葛藤について

さて冒頭、本作書き出しの三文を引用したが、既に読者諸氏ご明察の通り、「吾輩」と自称する語り手、本作の主役は、漱石翁による底本『吾輩は猫である』に登場する名無し猫と同一人物、もとい、同一猫物である。ここでは拙文を綴って居る吾輩と区別する為にも、この主猫公を本作での他猫による呼称であるところの「名無し君」と呼ぶ。名無し君は、漱石の底本に於いては最後に水甕(みずがめ)に落ちて水死するが、それが何故か生きていて何故か上海に居るという、初っ端から全くもって奇想天外な設定である。

冒頭三文に続く四文目はこうである。「征露戦役の二年目にあたる昨秋の或る暮れ方、麦酒の酔いに足を捉られて水甕の底に溺死すると云う、天性の茶人的猫たるにふさわしい仕方であの世へと旅立ったはずの吾輩が、故国を遠く離るること数百里、千尋の蒼海を隔てたユーラシアの一劃に何故斯くあらねばならぬのか。」

成る程文体模写とは文語調であるか、と思われる向きも在るやも知れぬ。然し流石の奥泉先生も、これ程の文語調で全編を貫いてはおらず、現代人たる我々読者の知的水準に配慮したものか、格調は保ちながらも次第に読み易い文体に変転し、加えて漢字には可成りの仮名が振られて居る。前述の一文にも「或」には「あ」、「麦酒」には「ビール」、「捉」には「と」、「水甕」には「みづがめ」、「溺死」には「できし」、「千尋」には「ちひろ」、「蒼海」には「そうかい」、「一劃」には「いっかく」、「斯」くには「か」と云った具合に版元編集者の配慮が行き届いているので是非とも安心されたい。

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因みに五年前に出た河出書房新社刊の文庫版と元々の新潮社の単行本では仮名遣いがまるで違い、四半世紀前の初版は全編歴史的仮名遣いでもって記述されて居るので、「云う」は「云ふ」、「ふさわしい」は「ふさはしい」、「ユーラシア」も「ユウラシア」、「いっかく」も「いつくわく」と云った具合で、平成初期には若き日の吾輩を筆頭に読者も喜んで解読したであろう漱石風の古式ゆかしき文体も、平成末期には最早原型のままでは受け入れられぬであろうとの判断を編集者にして為さしめた日本語の衰弱振りは頗る嘆かわしいけれども、そこはユーモア小説金字塔へのオマージユたるもの、矢張り売れてなんぼ、読まれてなんぼ、なのである。著者奥泉先生と河出書房編集部員諸君との間で如何なる遣り取りが交わされたかは吾輩の与り知らぬところであるが、文体模写の水準と読者への訴求力を天秤に懸けた上での喧喧囂囂の攻防、その帰結として九腸寸断の決断があったであろうことは想像に難くない。仮名遣い一つ取ってみても、歴史の荒波に揉まれた業界特有の事情が見え隠れするのである。

本作のごく簡略なる粗筋ならびに舞台背景、および愛すべき登場猫物達

さて余談に紙幅を費やしちっとも進まぬ吾輩の不手際を再度詫びるとして、話を本作粗筋へと戻したい。「征露戦役」とは所謂日露戦争を指し、その二年目とは即ち明治三八年、西暦一九〇五年であり、それが「昨秋」と云うからには、本作は一九〇六年、凡そ今を遡ること百十五年前、本作初版から数えて九十年前の出来事と云うことになる。一九〇〇年代の上海と云えば、共同租界と呼ばれる西洋東洋の交叉路たる所謂メルテイングポット、即ち人種の坩堝の街が発展を遂げつつあった時代であり、斯様な異国情緒溢れる亜州の大都会を舞台とするからには、国際色豊かな猫達が、その飼い主にして諸国の代表たる人間達の隠喩さながらに登場し活躍するという筋書きも、至極当然、否、必然であろう。

果たして、一度は命を落とした筈が不可思議にも出奔を遂げ上海に流れ着いた名無し君が、その来歴自体を謎の一部と置く本探偵小説に於いて、万国出身の猫達が夜な夜な参集する、「パブリック、ガーデン」なる公園の一劃をなす四阿(あずまや)にて、英仏独露中の諸猫と共に、或る殺人事件の真相につき各々の推理の披歴を傾聴すると云うのが、先ずは本作前半の趣向である。仏蘭西猫の伯爵、独逸猫の将軍、英吉利猫のホームズ君とワトソン君、それに地元中国猫の虎君が、マダムと呼ばれる美貌の露西亜猫と共に、我らが日本代表の名無し君を囲んで丁々発止、自説を披露しては横槍を入れられ、を繰り返すのは或る満月の晩の話であり、猫が集う月夜の街と云えば誰もが想起するごとく、本作は最早小説版ミユージカルキヤツツとも称されるべき、良く言えば色彩豊か、悪く言えば猥雑な趣をも孕んだ、幻想群像活劇なのである。

先刻吾輩は名無し君が諸猫の議論の中心に或ると述べたが、その理由は、彼等の関心の的であるところの殺人事件の被害者とは即ち、名無し君の主人であった、短気で頑固者、狭量で内弁慶な凡庸極まる高校教師、苦沙弥先生その人だからである。物語の冒頭で上海上陸後、異国の地にて突如野良に身をやつした名無し君は、兎にも角にも食わねばならぬ、と必死に日々を生き抜き、路地裏の残飯を漁っていたところへ、偶然目を留めた日本語の古新聞に「珍野苦沙弥氏殺害さる」の見出しを見たのである。

本作が漱石文学へのオマージユである所以

読者諸君の折角の興趣を削ぐ前に粗筋はこれ位に留めるとして、ここに至って諸君の中に、本作は漱石の底本『吾輩は猫である』の単なる文体模写、単なる続編に過ぎぬではないか、との疑念が生じたやも知れぬことは想像に難くなく、そこは吾輩の不徳の致すところである。なんとなれば、本作が単に模倣や続編を超え、漱石作品への大いなるオマージユ、敬意の体現である所以は他に幾つも挙げられるからである。

先ずは、個性豊かな新登場猫物達の活躍に目を奪われはするものの、旧作において通称「臥龍窟」なる苦沙弥邸にて飼い猫であった約一年間に、名無し君が観察し得た人間達、即ち迷亭、寒月、東風を始めとするお馴染みの面々が、俄か探偵猫等の推理談話の中に、あるいは実際に名無し君達が上海にて遭遇すると云う形で、引き続き本作にも登場する。否、寧ろ物語後半の中核を担うのは彼ら臥龍窟常連諸君による胡散臭い陰謀劇であり、漱石底本にて交わされ、紙幅の大半を占めて居った漫談雑談への既視感なのである。加えて、苦沙弥邸裏の二絃琴師匠の飼い猫で名無し君のかつてのマドンナ、三毛子とも邂逅を果たし、詰まるところ、上海と云う全くの異世界にて新たに開始されたかに見える名無し君の第二の猫生は、東京での第一の猫生と断絶して居らないどころか、しっかと根を張っているのである。

更に付け加えるべきは、『夢十夜』なる漱石の摩訶不思議で幻想的な作品が、本作に非常に巧みに織り込まれている点である。吾輩は本作初版を読むにあたり『吾輩は猫である』と『夢十夜』をその前後いずれかで読んだ記憶があるが、まさにどこか可笑しくどこか恐ろしくどこか不気味な十の夢の断片が、上海裏通りの阿片窟、見世物小屋、密輸船、実験倉庫等の情景と相俟って、本作に胡散臭さと悪の陰影と人生の悲哀を醸し出させるのである。

吾輩は奥泉光先生の作品が好きである。どれ程好きかと云えば、本作初版刊行の二年前に栄誉ある芥川龍之介賞を受賞された時分から、ほぼ全作品を読破して居る。吾輩如きが文学を語るは烏滸がましいを承知で云えば、奥泉先生の一見詰屈に見えて流麗な文体が、漢字と仮名を駆使し行間を読ませ視覚と聴覚と時には触覚をも刺激する超立体的言語、そこはかとなく雅で唯一無二の日本語という言語の特徴を、余すところなく自在に駆使して物語を紡いでいくその匠の技が良いのだと思う。奥泉作品は小説の類型に当てはめるのがちと難しい。空想科学小説、幻想小説、探偵小説、歴史小説、怪奇小説、恋愛小説、其の何れでもあって何れでもない。漱石の『夢十夜』は正に、斯様な奥泉作品に織り込む、否、そのヱキスをぽたりぽたりとインキの如くに滲ませるに、打って付けの素材なのである。

さて底本であるところの漱石の出世作『吾輩は猫である』は、近代日本文学に於いて、題名は知りつつも未読である、乃至は中途で挫折する名作の筆頭ではなかろうか。失礼ながら、矢鱈長くて難物、その割に筋が無く、謂わば読者を選ぶ作品である。更には時代とは言え女性蔑視も甚だしく、吾輩自身、本作に出合わなければ読んだかどうか頗る怪しいと白状せねばなるまい。然し本作を読めば、底本『吾輩は猫である』を俄然読みたくなる。読めば「嗚呼、奥泉先生のアレはコノ下りのパロデイであったか」と膝を打ち、益々興趣をそそられる。逆に底本を既に読了した奇特な読者であれば、本作の語彙と文節、会話と人物造形、情景描写と筋立てのそこかしこに幾層にも散りばめられたオマージユの数々に、熱い涙が頬を伝うこと必定である。漱石の底本を読まずとも本作は十分、否十二分に面白い。だが読後はつい底本に手が伸びる。猫が木天蓼に引き寄せられるがごとく、読者をして漱石文学へと誘う仕掛け――これこそが、奥泉光先生が文豪夏目漱石への大いなる敬意と憧憬を表出せんとて本作を著したことの確固たる証左であろう。

純然たる蛇足

吾輩の出鱈目な習作に過ぎぬ拙文に最後までお付き合い頂いた読者諸君には、純粋に謝辞を献上したい。大変押し付けがましい文章を読ませ、忙しい諸君の貴重な時間を奪ったことに付いては、謝辞より寧ろ平身低頭の謝罪が相応しいかも知らん。無駄に失われた時間は決して戻って来ない。時間は逆戻りできないからである。
――いや、果たして本当にそうであろうか? 

さて、吾輩は自らの厚かましさを、最後の最後まで貫き通す所存である。既にお察しの通り、本作奥泉光著『「吾輩は猫である」殺人事件』を熱烈に推薦するのが、吾輩の崇高にして至上なる本懐であり使命である。万が一にも本稿を何の苦痛も無く、又は苦痛で満身創痍となりながらも、此処まで読み通して来られたなら、本作は貴君の「次に読むべき一冊」であること請け合いである。次でなくとも、その次でも、その次の次でも宜しい。兎も角一人でも多くの読者が、本作の面白さに一時只々浸って頂けるならば、吾輩の似非書評家冥利に尽きるというものである。

今一つ蛇足を献上するならば、奥泉光先生は余程『吾輩は猫である』がお気に召されたと見え、後年、冒頭が「吾輩は猫である。」で始まる作品を再び上梓している。無論ここに登場する猫は本作の主猫公たる名無し君では無くドルフイーなる子猫なのだが、これがまた本作登場の或る猫とのとある共通点を持つのである。時代、場所、設定の毛色は全く異なるものの、本作に負けず劣らぬ波乱万丈の冒険活劇、その名も『ビビビ・ビ・バップ』なる長編大作である。この際蛇足ついでに挙げれば、その前作とも言うべき『鳥類学者のファンタジア』にも猫が登場し、事もあろうに文中には本作への言及がなされるに至っては、最早『吾輩は猫である』は小説家奥泉光の通奏低音、生涯の楽想と言って差し支えないのではあるまいか。

最後に、言わずもがなではあるが、吾輩は新潮社とも河出書房とも、ましてや集英社講談社とも一切関わりが無く、所謂回し者でも利害関係者でも無いことを、一言付け加えて拙稿を閉じることとする。御精読に切に感謝申し上げる。嗚呼、ありがたい、ありがたい。



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