世界のモノサシと私のモノサシ:2021年10月14日(世界標準の日)
「標準」ってなんだろう?
ITサービス業界で働いていて「標準」というと、サービスの契約交渉をするときやセキュリティ監査のときに必ず出てくるのが「ISO」だ。
「ISO」は「国際標準化機構 (International Organization for Standardization)」という非営利団体の略称、またはその国際標準化機構が発行する規格を指して使われる。
ISO規格は、国際的な取引をスムーズにするために、何らかの製品やサービスに関して「世界中で同じ品質、同じレベルのものを提供できるようにする」ことを目的として定められ、モノやサービスに対して適用される。
つまりは、ISOがついているモノやサービスは「世界標準である」というお墨付きをもらっているということだ。
モノに対してのISOは、非常口のマーク(ISO 7010)やネジ(ISO 68)といった規格がある。そういえば、非常口マークはどこの国にいっても大体同じだし、ネジも日本とマレーシアで全く違っているということもない。
日頃何気なく使っているコピー用紙のA4サイズといった規格も世界標準で定められているし、銀行やクレジットカードのカードサイズも全世界共通。
確かに、もし紙やカードのサイズが世界でバラバラだったら、コピー機は多種多様な用紙サイズに対応しなければならないし、カードを入れるお財布やATMもそれぞれのサイズに合わせたものに対応しなければならなくなってしまうので大変だ。
また、モノだけではなくISOは「マネジメントシステム規格」もある。
顧客に提供する製品・サービスの品質を継続的に向上させていくことを目的とした品質マネジメントシステムの規格であるISO 9001が有名だ。
もちろん私の勤める会社もISO9001の認証を取得している。
ISOを取得することで、会社のマネジメントが「世界標準」であることが示されるので、相手の信頼を得ることができるのだ。
10月14日は世界標準の日。世界の標準を規定している標準化団体は国際標準化機構(ISO)だけではなく、国際電気標準会議(IEC)、国際電気通信連合(ITU)インターネット・エンジニアリング・タスク・フォース(IETF)など、標準規格を策定する何千人もの専門家がいるそうだ。そして、今日は世界標準を策定した人たちに感謝し、労をねぎらい、世界経済において標準化することが重要であるという認識を高めることを目的とした日だそうだ。
標準や普通といった言葉は、日本でもよく使われる。
しかしながら、私自身マレーシアで今の会社に転職してから、「日本の標準(普通)」が実は「世界の標準」ではなかったことに多く気づかされた。
そして、「私の標準(普通)」だけでモノゴトを測ってはいけないことは、本当にいつも反省している。
私は日本育ちの日本人で、私の担当しているチームは上司を含めて日本語を母国語としないマレーシア人たちで、会社は世界各国の企業に向けてサービスを提供している。
担当している日本企業の顧客は海外拠点の世界企業のサービスを選んで契約したのだから、その契約内で受けられるサービスを提供するのが私の仕事なのだけど、どうも「日本ではこれが普通」「普通だったらこれもできるでしょ?」とか「前の(日本の)取引会社はこうだった」とかがあると、なかなかに交渉が大変なこともあった。
グローバルスタンダードでのサービス基準
日本側の顧客が普通のサービスだと思っている基準
私たちで提供できる(契約)サービス
…という風に、多方面の視点からみて判断していくことに加えて、コストやチーム全体のモチベーションとか考えなければならないことが沢山ある。
私も私で、日本で長く働き、日本のサービス基準にどっぷりと浸かっていたから、会社に入社してからすぐのときには、よく上司とぶつかっていたし、最初は「日本ではこれが普通」とよく言っていた。
でも、決して日本の普通は世界の普通ではないのだ。
もっと言うと、うちの会社のサービスの普通は、お客さんの思っているサービスの普通とはそれぞれが違う。
こうしてお互いの認識の相違点などを考えながら、提案と交渉を繰り返すことは、理解しあうまでなかなか大変なこともある。
私自身も自分がそうだった。
「世界標準」は世界で決められていないと困るもの、または国際的な信頼の基準として規格されている。
例えば信号機の色が国によって違うと、交通事故が増えてしまうだろうし、海外の企業と取引する上で、相手と安心して取引するための「モノサシ」はあったほうがいい。
「標準化」というのは、経済活動の上でも重要なことだ。
世界の標準
日本(生まれ育った国)の標準
自分の標準と相手の標準、それぞれがきっと正しくて、それぞれがきっと間違っていることもあるかもしれない。
そして、自分の「モノサシ」では測れないこと、判断できないことのために「世界標準」がある。
まぁ、お客さんに「世界ではこうなんです」と言っても「いやいや、うちは違う(こうしてほしい)」って言われることも今もまだ多々ある。
これからも、私はきっと色んなモノサシを使って世界をみていくだろう。