「料理時間」のゆくえ
家事の中で一番、よし!と覚悟を決めないとできないことが料理だ
得意ではないけど嫌いではない
苦手ではないけど好きではない
のような、私の中であいまいな立ち位置にある家事
今年も始まってしまって、ああ、今年も365日料理をする日々が始まってしまったと思う。(外食多めの我が家ではあるけれど(笑))
独身時代は料理なんてしなかったし夫婦2人の時も外食が多かった
家で食べる習慣はやっぱり「こどもがいるから」
その理由に尽きる
ただ理由はどうあれ年々思うのは、
少しずつこの料理をする時間が好きになりつつあるということ。
普段はバタバタとそれなりのものを作って食べてしまうけど、たとえば休日や深夜、1人で黙々と料理をする時間が自分の中に静かに、じわ~っと深く流れて、癒しになっていることに気づく
夢中で刻んで、炒めて、煮込んで、その音や匂いやリズムや、作業が滞りなく進んだ時の満足感やその空間と時間を誰にも邪魔されずに没頭できる優越感やいろいろなもの。
手間が多ければ多いほど、それをてきぱきとこなせればこなせるほど、その時間の満足度は増していく。
究極にいいと思うのは、手を動かしながら頭も動かして、日ごろの自分と無意識に向き合うことができるという点。
ベッドの中でじーっと考えるよりも、気づけば悩んでいたことの答えにたどり着いていたりする
よく、仕事ができるビジネスマンはジム通いが多いと聞くけれどそれと同じ。人間、手先や体を動かすと脳がクリアになる。
普段はどうしても時短を意識しがちだけど、そんな静かな自分で自分を独り占めできる時間が欲しくて、時間と手間をうんとかけて1品を作ることがある
1年の最後にいつもその年を振り返ると「今年も1年、よく家族のご飯を作った」と自分に褒めたたえて、また次の1年によし、と喝を入れる
今年は少しいいまな板と包丁が欲しい
さて、今日は何を食べようかな