「好き」の根底
働くことが好きか嫌いか、仕事が好きか嫌いか。
でいうと、私は「好き」だ。
私は新卒からお世話になった会社を5年弱で、出産を機に退職し、出産後8か月で今の会社に中途入社した。
「仕事が好き」の根源はどこにあるんだろうかとふと考える。
「好き」の理由はなんだろう。
①お金を稼ぐこと。
もちろん前提。でも、収入のためだけに仕事をするのであればいちいち仕事内容や働く場所にこだわったりはしない。
②誰かの、社会の、役に立つため
めちゃくちゃ大きなスケールで意義を考えるなら結局はそういう気持ちに行き着くのかもしれない。けど私はそんな大義な使命感を第一には考えられない(笑)。働く理由はもっと限定的で個人的なことだと思ってる。
③承認欲求・自己研鑽
私はどちらかというと、やるからにはそれなりの対価が欲しい人間だ。それは肩書や地位ではなく、やったことに対しての適切な“評価”という意味で。大人になってから新しい知識を得たり何かを習得する楽しさは、仕事をして得たことの一つ。でも、そのために仕事をしているのかというと、やっぱり違う。
じゃあなんだろう。
私は自分の30年の人生を振り返ってみて。 仕事に限らずすべてのものに求めているものがあることに気づく。
「誰かと同じ思いや目標を共有すること」「そのプロセスや達成感を感じあうこと」。
私にとって「誰かと何かを目指しあう場所」みたいなものがキーワードになっているんだと気づく。
その原点は紛れもない高校時代の部活。
私が高校3年間の時間のすべてを捧げたチアリーディングは、れっきとしたチーム競技で、個人のスキルはもとより、全員の心を一つに、目指すものをみんなで作り上げるその過程やチームビルディング力が問われるものだった。
誰かと腹を割って気持ちをぶつけ合ったり、1人ではない誰かのために努力をしたり、心から泣いたり笑ったり悔しんだり喜んだり…そんな経験はあの3年間しかなかったように思う。もちろん10代だからできたことでもある。それでも私の中であの経験は、青春なんて爽やかなものではなくて、もっと奥深く重たいものとして思い出される。
あの時の「誰かと思いを共有して、それに向かってひた走る」という一種の快感は忘れようがなくて、無意識に仕事でもそんな快感を欲している瞬間に気づく時がある。
大人は10代のようにはいかない。いろんな事情があるし、純粋な気持ちだけで仕事は成り立たない。駆け引きもあれば社内政治もあるし、価値観も仕事へのスタンスもみんな違う。それを統一させることがすべてだとも思わない。それでも、どうせやるならみんなで一緒に楽しくやりたいよね、という気持ちを私は常に持ちたい。一緒に働く人たちはやっぱり「仲間」と思える関係でいたい。わざわざ仲間内で張り合うことはないよね、と。みんなでみんなのために頑張ろうよ、と。その程度でも十分だと思っている。
もちろん部活とはわけが違うから(笑)、そんなことをで熱くリーダーシップを発揮したりなんてしないけど、私が「やっぱり仕事がしたい」「働くってなんだかんだいいよね」と思うのは、部活のようなそんな、誰かと何かを目指しあう経験をもう一度したいからかもしれない、と思いました。競い合いながら認め合いながら、日々動く経験。
明日もがんばりたいと思える、その原動力をくれた高校の仲間と、それを青臭くも忘れることができない自分に感謝して、明日も仕事へ向かおうと思います。
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