強さとは。
「 強いね 」
と言われることが多い私。
私自身では弱さと共存する自分をよく知っているので
決して強靭な心で何もかもと闘ってきたわけではない。
自分自身が捉えているワタシと、他者から見たワタシ。
”強い”という表現が何を占めているのか、
ふと気になってしまった。
他者から見える私はどう映っているのだろう。
映画のような人生。
人生何周目?
一人で生き抜く力がありそう。
最近よく言われる言葉たち。
そう見えていることも分かるし実際、
私のこれまでの出来事を話すと
そう思われてしまう、というのは分かるのだが
私自身のほんの一部であることも事実だ。
確かにこれまでの私の経験は多少強さが必要で
乗り越えるにはかなり険しい道のりではあった。
ただ、中には
葛藤や苦しみ、から逃げてきた現実もある。
向き合うべきところはしっかり向き合って
無駄に心をすり減らしてしまうものからは積極的に遠ざけた。
"逃げてきた”と書いたが、
"逃げるは恥だが役にたつ”という言葉があるように
どうにもならなくなった時、
真っ先に思い浮かべて欲しいこと。
身(心)を守るための逃げは、
100%あなたが正しい。
私はそもそも逃げること自体"恥”と思わないが、
そう思えるようになったのはそう伝えてくれた友人の存在があったからだ。
運良く、私はそういう友人に巡り会えたが
そうでない人もこの世界にはどれだけいるのだろうか。
私は改めて伝えたい。
逃げることは、恥ではない。
生きていく上で、自分を守る最大の手段である。
『 自由であること 』
私という人間にとって最も必要なこと。
特に心を縛られることが何より嫌で
息苦しくワタシでいられなくなることがないより苦痛。
働き方もそう。
正社員や会社に所属して何かをやるのは向いていなさそう、
ということに1社目で半年で気付き
それから、フリーランス / 派遣のような働き方を実際にしているが
やはりその感覚が気楽で心地よいと感じている。
仕事含め、私生活でもそうだが
その自由な部分から自分らしさが生まれ、自分らしさが強さとなる。
自分らしいとはなんなのか
私という人物について果たして私は熟知しているのか
その部分を突き詰めた先が、
揺るぎないものが確立した時に
いわゆる "強さ” というもので表現できるのだろう。
では、また。
marine
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