24歳の誕生日を1ヶ月後に控えた私の、改めて思うこと。
11月16日 17時14分 、紅白歌合戦の出場者決定のLINEニュースが
私のスマートフォンにも届いた。
私の誕生日は、12月31日。大晦日。
子どもの頃から誕生日と紅白歌合戦は密接で、
切っても切り離せないものだった。
誕生日当日のルーティーンといえば、
神社にお参りに行き、お札やお守りを燃やしに行く。
そして次年度のものを新しく持って帰る。
そして従姉妹とその家族がくるまでに
お寿司、ピザ、オードブル、ケーキをバースデーガール自ら準備する。
もちろん、祖母お手製の"のっぺ"も欠かせない。
大晦日といえど私の誕生日がメインイベントだった為、
我が家には大晦日に年越しそばという概念は無い。
初めて年越しそばを食べたのも2年前だった。
そして、従姉妹達が集まればそこからは紅白を流しながら宴が始まる。
私にとって、
誕生日というより家族が集まる楽しい日。という認識だった。
そんな今年も例年通り、紅白のニュースが届く。
毎年、このニュースを見ることで自分の誕生日が来ることを実感する。
もう何年も私の誕生日に親戚が集まる、なんてことはやっていない。
それと同時に私の誕生日の特別感も薄らいでいっている。
誕生日。
楽しいこともあったが、
特別な日だからこそ、辛い悲しい思い出も深く残っている。
5歳の誕生日。
持病の喘息が悪化して救急車で運ばれ、年明けを救急センターで過ごした。
隣のカーテン越しから
"イチ ニ サン シ ….ピーピーピー ドンッ”
という音をききながら。
12~13歳の誕生日。
酔っ払った叔父に離婚した私の父のことを悪く言われ、
私は号泣しながらブチギレた。
「何も知らないでそんなことよく言えるね」と言い放ち、
それから1年間、叔父とは口を聞かなかった。
20歳の誕生日。
うつ病/適応障害で寝ていることの多かった私に
その頃まだ精神疾患についてあまり理解がなかった祖母が
「なにもしないでずっと寝てばかりいる」と言った。
まさかの誕生日に言われるとは。大号泣。5時間部屋に引き篭もった。
21歳の誕生日。
大好きだった元彼と別れるきっかけとなってしまった日。
この日のあのきっかけさえなければ別れていなかったかもしれない。
誕生日だから、といつもより少し楽しみにしてしまったから。
何度思い出しても、誕生日なんてクソ喰らえと思う。
23歳の誕生日。そう去年の誕生日。
2年付き合った彼との別れを決めた日。
「誕生日になる瞬間には絶対帰ってくるから」と女友達と飲みにいった彼。
もちろん、間に合わず背を向けて寝た誕生日の朝。
「もう無理だ」と決心がついた日だった。
そんなこんなで、毎年誕生日が近づくと
「また嫌なことが起こるのではないか」と不安な気持ちになる。
誕生日なんてどうでもいい。期待はしない。
多くのトラウマが自身の誕生日だなんて本当に勘弁してほしい。
誕生日を幸せいっぱいで過ごした日なんていつが最後だっただろうか。
もう、思い出せない。
今年こそ、特別なことはいらない。望まない。
ただ、大切な人や家族に囲まれてゆっくり過ごしたい。
もちろん、今年も無事誕生日を迎えられそうなことに感謝している。
精神疾患を患っていた18~19歳の私は、
まさか20歳の誕生日を迎えられると本気で思っていなかった。
誕生日を迎える前に、きっと私はこの世にもういないだろう。
って思っていた。
そんな私が今24歳の誕生日を控えている。
20歳の誕生日を終えた日から4年間。
怒涛で濃い日々。
愛することを知り、愛されることも知った。
少しづつ"わたし"というものが確立され、
人間関係で悩むことも少なくなり、とても生きやすくなった。
前向きにものごとと向き合い、
「生きてりゃ、なんとかなる」が口癖になった。
大切で必要なもの、私の人生には不要なもの、
すぐ判断できるようになった。
そんな"わたし"の25年目が始まる日がもうすぐやってくる。
24歳。
2023年。
どんな1年が待っているのだろうか。
どうか幸せに笑い、大切な人達と過ごし、
穏やかでいてほしい。
それだけが、”わたし”に対する”わたし”からのメッセージだ。
marine
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