【第二回】昔の「シャーロック・ホームズ」の邦訳
「よい翻訳とはなにか」というテーマで修士論文を書くにあたり、私は「シャーロック・ホームズ」シリーズの邦訳をケーススタディとして見ていこうと決めました。
なぜ「シャーロック・ホームズ」か?
なぜビジネス文書をケーススタディにしなかったのか?
実際のビジネス文書を例にすると、原文・訳文を載せないといけないわけですが、ビジネス文書って基本的に機密文書なので許可をもらうのは現実的に無理…許可が下りたとしても、結論が「訳文が仕事で使えるかどうか」の一言で終わってしまって、つまんなさそう…
それに、ビジネス文書にしても小説にしても、ひとつの原文に対して複数の訳文がないと掘り下げにくいです(よい翻訳例と、あまりよくない翻訳例を比較しないとわかりにくい)。ビジネス文書で複数の同じ言語の訳文が存在することってないですよね。小説にしても、複数の訳文があるのって著作権が切れていて、かつ文壇の評価が高くていろいろな論文がたくさん出ている作品に限られるから、それを選んでも目新しさがないんですよね…
あっ、だったら大好きな「シャーロック・ホームズ」にしよっと!
我ながら安易な思考で「シャーロック・ホームズ」シリーズに決めてしまいました。笑
が、これがなかなかおもしろかったんです!(調べるの大変だったけど)
というわけで、まずは「シャーロック・ホームズ」シリーズの邦訳史をご紹介します。
突然ですが、問題です(デデン)。
Q.日本で「シャーロック・ホームズ」シリーズが最初に邦訳されたのは何年でしょうか?
A.現在見つかっている最も古い邦訳は、明治27年(1894年)のものです。雑誌『日本人』に「乞食道楽」という邦題で掲載されています。
この「乞食道楽」、どの事件の話か、シャーロキアンの方ならわかりそう。
正解は「The Man with the Twisted Lip」です。1891年初版の『Adventures of Sherlock Holmes』(『シャーロック・ホームズの冒険』)に掲載されている短編です。現代日本では「唇のねじれた男」の邦題で知られているかと思います。
この話を読んだことのある方でしたら、
「乞食道楽」って題名でネタバレしとるやないかい!
とツッコミを入れたくなると思います(未読の方はぜひ、ネタバレにふてくされずに読んでみてくださいね)が、これ、明治時代の邦訳ではよくあったことなんです。
この頃の「翻訳規範」(よい翻訳の基準)は、いまとだいぶ違いました。「乞食道楽」みたいな題名でネタバレも普通でした。「乞食道楽」ではそんなことないのですが、同時代のほかの「シャーロック・ホームズ」シリーズの訳文だと、人物名の和名化(例:Watson→和都さん)、舞台設定の変更(例:ロンドン→東京、イギリス→ドイツ)、キャラ設定の変更(例:私立探偵→陰陽師)などなど、いまならありえないものも多いです。
でも、この頃はミステリというジャンル自体が新しかったので、ネタバレしたら楽しさ半減なんていう価値観がなく、題名に端的にストーリーをあらわすのは普通でした(同時代の夏目漱石『坊ちゃん』『吾輩は猫である』とか、まんまですもんね)。
エリートが読むものならともかく、外国人など見たこともない一般大衆向けの小説に外国人名が羅列していると読みにくくて仕方がない。
イギリスなんてなじみがなさ過ぎて、イギリスが舞台だとストーリーがピンとこない。
私立探偵?っていうか探偵ってなに、食べれるの?
そんな読者の背景を踏まえて、当時の訳者たちは訳文を「脚色」していったのでした。悪意があって「脚色」したわけではもちろんなく、読者が読みやすいようにという創意工夫の結果なんです(現代人が読むとツッコミどころ満載で、これはこれでおもしろいと私は思いますが)。
このような訳文を、「翻案」と呼びます。明治時代は、「シャーロック・ホームズ」シリーズに限らず、海外の小説の邦訳と言えばいま私たちが見るような「翻訳」よりも、こうした「翻案」が一般的でした。
翻案・翻訳される小説が増え、世間一般になじんでくるにつれ、徐々に「翻案」が減って「翻訳」が増えていきます。ただ、「シャーロック・ホームズ」シリーズの場合は「翻案」から「翻訳」に転換する、なかなか決定的なターニングポイントがありました。
知る人ぞ知る、青年誌『新青年』の登場です。
次回、雑誌『新青年』についてご紹介します。