嫌な奴の赤ん坊の頃を想像してみる~『カラーひよことコーヒー豆』(小川洋子)~
このエッセイ集は雑誌「Domani」の連載に書下ろしを加えたものです。女性誌の連載に相応しく、1本は1本はさらっと読め、でもちょっとだけ考えさせられるものもある、という感じです。
雑誌、特にファッションに重点を置いた女性誌のエッセイに求められる点の1つは、基本的にはその時だけ楽しんで、あとは読んだことすら忘れてしまう軽さかと思いますが、そういう意味で成功しています。
↑文庫版
実はこの本、小川糸の『育てて、紡ぐ。暮らしの根っこ』と『針と糸』を借りた時、これも小川糸さんのものかと思って借りてきたものです。老眼なもので、よく見えていなかったようです(^-^;
まぁ結果的には間違って借りたわけですが、『カラーひよことコーヒー豆』という題名にも興味がそそられたし、表紙も可愛かったので(私が借りたのは単行本なので、上記の画像とは別ですが)、読んでみた次第です。
ちなみに小川洋子作品は、初めてではありません。『世にも美しい数学入門』、『博士の愛した数式』、『博士の本棚』、『生きるとは、自分の物語をつくること』は読んだことがあります。
……と、題名を挙げてみて愕然。これだけ読んだのに、それぞれの作品が私に残したものがあまりないのです。決して良くなかったとか、つまらなかったとかいう訳ではありません。読んでいる間は、それなりに感心したり楽しんだりした覚えはあるのですが、時を経て形を持って残っているものがないのです。
つまり、あくまで私が読んだ範囲ですが、小川洋子作品は全般的に『カラーひよことコーヒー豆』と同じ系統なのかもしれません。その時はしっかり楽しめ、考えさせられることもあり、でも後にはあまり何かを残さない。
とはいえそれは、本当に何も残していないという意味ではなく、形にならないレベルで、読者に何かを残しているという気がします。
でも読んだからには多少なりとも形になるものを残したいので、『カラーひよことコーヒー豆』で心に残った一節を書いておきます。
ほんの少し心に余裕があれば、悪口を言ってストレスを解消するような卑しい自分から脱却できる。あの人だって家へ帰れば、子供にとってかけがえのないパパ(もしくはママ)なのだ。(中略)そういう想像力が働けば、腹も立たなくなる。腹が立たないばかりでなく、相手を許す気持にさえなれる。
この引用の直前で出てくる、失敬な奴の赤ん坊の頃を想像してみるエピソードも同様のものでしょう。あと、小沢一郎が自宅の庭で飼っているウコッケイだかチャボに、にこやかな笑顔を向けつつ餌をやっている映像を観て以来、その後の小沢一郎の姿にそれを重ねている、というのも。
嫌な人に出会った場合、そうしてみると、結果的に自分も楽になれるかなぁと思いました。なかなか難しいことですが。
↑kindle版(kindle版のほうが文庫本より高いです)
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