題名通り、「スペインのユダヤ人」の歴史をまとめた本です。
とはいえ、「スペインのユダヤ人」だけではなく、ユダヤ人自体についても、そしてユダヤ人とは直接関係がない部分でも、非常に学びの多い本でした。私は気になった箇所や、メモを取りたい場所には短冊を挟んでおくのですが、全100ページのこの本に、恐らく20枚くらい挟んだと思います。それくらい、発見満載の本でした。
授業に直接使えるネタは、授業用のノートの方に控えたので、ここでは、授業では直接使わないネタではあるものの、ちょっと覚えておきたいことを、備忘録代わりに書いておきます。
ディアスポラの結果、ヨーロッパに行ったユダヤ人にも2種類の人々がいるとは知りませんでした。
セファルディームとアシュケナジームで、話す言葉も違ったわけですね。
これは強烈な指摘だと思います。ナフマニデスは、29ページの注をそのまま引用すると、「十三世紀スペインのユダヤ人共同体を代表する知識人の一人でラビ」で、上記の言葉は1263年に行われたバルセローナ討論でのものです。
十三世紀後半のカスティーリャ(後のスペインの一部)における、ユダヤ人への寛容に触れた部分です。中世ヨーロッパのカトリック教会のユダヤ人やムスリムへの寛容については、『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』でも触れていました。
時代の変わり目に、ヨーロッパのキリスト教徒は寛容さを失ったわけですね。
異端審問制度についても、この本でずいぶん印象が変わりました。
コンベルソとは改宗ユダヤ人のことですが、真に改宗していないと見なされたコンベルソが、異端審問にかけられたわけです。もちろん実際に火刑に処された人が200人もいるという事実を軽く考えることは出来ませんが、「異端審問にかけられたら、ほとんどの場合は火刑」というようなイメージは、間違っているわけですね。
そもそも異端審問裁判自体、弁護側主張より検察側主張の方が重視され、公平なものとは言えなかったとはいえ、実際には以下のようなものだったそうです。
なお肖像火刑というのは、コンベルソが逃亡した場合で、「欠席裁判のうえで有罪とされ、肖像火刑と財産没収に処せられ」(p.64)たそうです。生きている人で、肖像火刑で済むケースがあったかは分かりません。
そして遺骸火刑といえば、コンスタンツ公会議の結果、死後有罪となったウィクリフが思い浮かびますが、「遺骸火刑の目的は、墓地という『聖なる空間』からの異端者の排除、浄化作用をもつ火による異端者の霊的救済にあった」(p.64)とのこと。ある意味、異端者への恩寵なんですかね。もちろん、生きながらにして浄化されてはかないませんが。
非常に勉強になる1冊でした。ちなみに見出し画像は、コルドバの土産物屋で見かけたTシャツの模様です。3つの宗教を象徴するマークが共存しています。